誰でも美人の時代 2016.01.17-01.23 

いまから30年前、誰でもが美人に映るテレビ電話の研究を始めた。たとえば化粧機能つきテレビ電話、それが実現されたら、化粧してなくてもテレビ電話に出られる。そのような技術を夢見たことがきっかけとなって、僕は顔に関心を持つようになった。

美人になれる化粧機能つきテレビ電話は、動画としてはまだ実現していない。でも静止画レベルならば、いまの技術でも十分可能だ。最近のプリクラは、化粧だけでなく、目を大きくするという整形手術もしてくれる。自撮りの顔を美しくする技術もある。30年間の技術の進歩には素晴らしいものがある。

バーチャルだけでなくリアルでも、いまや誰でもが美人になれる時代になった。街は美人に溢れている。それは僕にとって素晴らしいことだ。いい時代になった。僕がもっと若かったらと思うことがあるけれども、それはそれで良しとしよう。

美に関して言えば、顔は二つに分かれる。一つは、程度の差こそあれ、自分は少しは美人だと思っている顔、いま一つは、どうせ自分は不美人だと思い込んでいる顔。この違いは大きい。前者は、それなりに美しく見える。それに対して後者は、たとえ顔かたちが整っていても、美しさが失われている。

紅白歌合戦をテレビで観ながら思ったことだけれども、出演する歌手はグループが多くなった。グループで多人数ならば、特に際立っていなくても、クラスで一番でなくても、頑張ればあなたでもアイドルになれる。芸能界はいま、そのような戦略でアイドルを生みだしている。

いまバーチャルやリアルの世界で、女性が自ら求める顔は、必ずしも他人、特に異性から見て美人に見える顔ではない。自分にとって可愛い顔であることが重要なのだ。他人の目を気にしない、それ自体はいいことだ。その美の基準がどこにあるか、僕から見ても疑問に思うことはあるけれども。

誰でも美人になれる時代となって、顔の平均レベルが上がった。逆に、昔ながらの絶対的な美人が目立たなくなった。でも、いまでも確実にいる。街でそのような美人を見かけると、一期一会、しばし美の世界に浸る。眺めるだけだけれども、幸せな時間を与えられたことを感謝する。