メモ 2016.02.07-02.13

この歳になると深刻に自覚させられることがある。それは記憶力の低下だ。脳の劣化は致し方ないので、代替手段を講じて必死に抵抗する。その一つがメモを心がけることだ。それもすぐメモをとることが大切だ。寝るときは枕元にメモ帳をおいておく。後回しにすると絶対忘れる。

メモを心がけても、どこにメモしたかを忘れる。メモしたこと自体も忘れてしまう。それを避けるには、メモ帳は一つだけに決めておいて、いつも身につけておくことが肝要である。僕は小型版のスケッチブックとペンをいつも持ち歩くようにしている。それもときどき忘れるけれども。

ネットをメモ代わりに使う。それも一つの方法だ。ツイッターにメモしている人もいるけれども、僕は日常生活をネットにメモすることには抵抗がある。どちらかと言えばどうでもいいことを、人生の備忘録としてメモするにとどめている。それも一日一回だけ。

会議のとき、配付された書類の余白に一生懸命メモをとる人がいる。ところがその書類をきちんと管理しているようには到底思えない。メモをとるという行動は、必ずしもそのメモを記録として残すためではない。メモをとるという身体運動が、脳に記憶を固定する。それが重要なのだ。

学んでもその内容をすぐ忘れてしまう。忘れたくないときは、その要約を自分なりにまとめてメモする。さらにはそれを人に話すといい。それもそれなりに体系づけて話すことが必要だ。僕は講演することしか能がないので、それを利用する。パワーポイントをメモ代わりにする。

僕は講演するときに原則としてパワーポイントのコピーは配らない。必要ならばそれぞれでメモを自分でとってほしい。そう思うからだ。メモをとるという行為を通じて、講演内容をそのときに頭に入れてほしいからだ。

メモを心がけるということは、まだまだ煩悩の中に生きていることだ。メモを忘れても、まったく気にすることなく幸せに生きていける。そのような身になってみたいとも思う。でも一方で思う。メモが手放せない生活を続けられるということ、それはそれで幸せなのだと。