理学と工学、受験業界ではどちらも理系扱いされる。高校の進路指導でも区別が曖昧なことが多い。せいぜい理学は基礎科学、工学は応用科学、その程度の理解にように見える。僕は工学部にいて、いつも科学と技術の違いが気になっていた。
科学と技術、いまは科学技術とまとめて呼ばれることが多い。でもそのルーツは違う。科学の本質は「知る」こと。それに対して技術は「創る」ことだ。科学は探求型営み、技術は創造型営みだ。歴史的には技術は芸術に近い。それが科学に近づいたのは近代になってからだ。
科学の目的は知の蓄積だ。その蓄積のメディアとしてジャーナルがある。そこに論文を投稿して、知の蓄積に貢献することが研究者の役割だ。したがって論文の量や質が業績の評価尺度になる。それに対して技術は、論文は手段でしかない。にもかかわらず、工学でも論文偏重主義がまかりとおっている。
技術は社会の要請にとって発展し、もともと社会に対して開放されている。科学は必ずしもそうでなく、研究者内部に閉じている。それは科学が研究者それぞれの知的好奇心駆動型の営みだからだ。研究成果も同業者に対して発信し、評価も内部で行われた。そこに技術と科学の大きな違いがあった。
近代になって科学技術は力を持ち、人類の生存にも関わるようになった。核兵器しかり遺伝子工学しかり。そのとき科学の知はあくまで中立で、その知を技術が悪用するからいけないとする立場がある。そこでは科学者には責任がない。でもすでにそのような時代ではなくなっている。
科学には絶対的な真理がある。主体(研究者)と客体(対象)を分離できるから、科学の真理は研究者の価値観に依存しない。それがデカルトの主張だった。それに対して技術は、自らを取り巻く環境を変えることだ。主体と客体を分離できないから、当然そこでは研究者の価値観が問われることになる。
技術、そしてその指導原理である工学は、目的遂行型、使命達成型の営みであると言われる。その目的や使命は、研究者以外の国や産業から与えられる。確かにそのような面もあるけれども、そろそろ変わっていい。それは研究者自らがビジョンを持ち、未来に対して価値を創造していくことだ。