ディスプレイとしての鏡 2016.04.24-04.30

テレビはますます進化して、4Kさらには8Kの放送が実用になろうとしている。対応したディスプレイも一部市販されている。素晴らしい技術だけれども、関連するシンポジウムで、まだまだ幼稚だと発言したことがある。僕が考える究極のディスプレイは「鏡」だからだ。

ディスプレイとしての鏡は、その解像度は光の粒子である光子で決まる。したがって、空間解像度がほぼ無限の映像表示装置であると言っていい。時間解像度も無限だ。色の再現も完璧だ。現実世界と変わらない。ディスプレイの開発の目標は、すぐ目の前の鏡にあったのだ。

ディスプレイとしての鏡は、究極の立体表示装置だ。立体で見るための特別なメガネを必要としない。裸眼でいい。正確な輻輳を実現しているから、目がつかれない。その意味で人に優しい。これからの立体表示技術は、鏡を模範としなければならない。

ディスプレイとしての鏡は、理想的なインタラクティブメディアだ。見ている人が動けば、それに時間遅れなしに反応する。空間的な位置合わせも完璧だ。インタラクティブ性は、時間と空間に対して違和感を持たせないことが勝負だけれども、鏡は素晴らしい機能を備えている。

ディスプレイとしての鏡は、ハードウェアとしても素晴らしい。もともと薄型だけれども、光沢のあるフィルムを鏡にすれば超薄型、超軽量にもできる。環境にも優しい。消費電力がゼロだ。究極の反射型ディスプレイである鏡は、電力を供給する必要がない。

ディスプレイとしての鏡に、画像処理機能がつけば、美人に映る自惚れ鏡も夢でない。 プレイバック機能がつけば、過去に鏡に写った映像を再現できる。鏡に向かっている自分の心の奥を映し出すことも、少し怖いけれども、可能になるかもしれない。

ディスプレイとしての鏡に、任意の空間映像を映し出して、インタラクティブに反応させれば、その鏡に囲まれた空間は究極のバーチャルリアリティを実現する。少なくとも視覚的には現実と区別できない。鏡の中の空間に物理的に入るという難問題が、その次に待ち受けているけれども。