宇宙論と素粒子論 2016.05.08-05.14

ここ数カ月、ちょっとした縁があって宇宙論と素粒子論に関心を持っている。もちろん一般向けの入門書に限られるけれども、1冊読むとさらにもう1冊読みたくなる。完全に嵌ってしまって、なかなか抜け出せない。宇宙論や素粒子論には、なぜかそのような魔力がある。

宇宙論と素粒子論は、いくら勉強しても僕の人生には関係ない。役にたつわけでもない。そうなのになぜ面白いのだろう。嵌ってしまうのだろう。自分のルーツを、生まれる遥か前の宇宙のレベルで知りたい。自分の体をつくっている究極の最小単位を知りたい。そう思うのが人の本能だからだろうか。

宇宙論と素粒子論。片や超マクロで片や超ミクロ、正反対に見えるかもしれない。実は密接な関係がある。宇宙が誕生した時はまだ物質はなく、空間には素粒子しかなかった。素粒子を知らなければ、宇宙がわからない。正反対がつながっているから面白い。

最新の宇宙論と素粒子論では、宇宙はユニバースでなくマルチバース、無限にあると考える。素粒子は点ではなくひも(弦)であると考える。空間は3次元でなく9次元あるいは10次元であると考える。勝手に想像するだけで楽しい。現実離れしているところがいい。

宇宙論や素粒子論は、美しい体系で記述されなければならない。例えば、数多く見つかっている素粒子には必ず規則性がある。4つある力も、重力も含めて必ず統合される。科学者はそれを信じて疑わない。科学は美しい。少なくとも魑魅魍魎の人間世界よりは美しい。

宇宙論や素粒子論は、実は数学の世界だ。数学ですべてを記述できる。新たな粒子の存在やその質量までも予言できる。ヒッグス粒子はそうして発見された。あたかも自然が数学に支配されているようだ。なぜ数学がそこまで威力を発揮するのだろう。たとえ理解できなくても、その不思議さがいい。

宇宙論や素粒子論の入門書で、数十万部に達するベストセラーは珍しくない。決して内容が易しいとは思えないのに人気がある。いま科学技術はすぐに役にたつことだけが要求されているけれども、むしろそうでないところを大切にしなければならない。そのことを改めて教えてくれる。それがこの分野だ。