「駆けつけ三杯」。酒の席に遅れて来た者に、罰として三杯の酒を飲ませることらしい。「三三九度の杯」。これは罰ではなさそうだ。でもなぜ三杯なのだろう。歴史も、三が好きだ。三国志、三本の矢、三国同盟・・・、明智光秀は三日天下だった。三には特別な意味があるのだろうか。
「三人寄れば文殊の知恵」。これは三人だから意味がある。二人では、意見が対立してしまう。四人以上だと、意見が発散してまとまらない。三人くらいがちょうどいい。一方で、「女三人寄れば姦しい」とも言う。片や文殊の知恵、片や姦しいだけ。その違いはどこにあるのだろう。
二でうまくいっているのに、そこに三番目が加わると複雑になることもある。「三角関係」がその典型だ。多体問題は「三体問題」以上になると解析的に解けない。そう言えば、「三角関数」に悩まされた人も多いかもしれない。三は、ともすれば悩みの種になる。
「三日坊主」といういい方がある。三日で飽きて長続きしない。三日坊主を克服するには、四日続ければいい。夫婦関係では「三年目の浮気」だ。どんなに愛し合っている夫婦でも、三年経つと飽きが来るらしい。これは四年経てば克服できるというものでは、必ずしもないだろう。
戦後のある時期に「三種の神器」がもてはやされた。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫。「3C」もあった。カラーテレビ、クーラー、(マイ)カー。いずれも三だから意味がある。ようやく手が届く範囲だ。これが四あるいはそれ以上だったら、果たせぬ夢となる。
論理では「三段論法」が有名だ。ヘーゲルの「正反合」も三段階だ。ある判断(定立)に対して矛盾する判断(反定立)があると、これを統合したより高い判断(総合)を導くことができる。三つ目があるとそこに新しい論理の展開がある。論理の本質はそこにある。
同じ失敗を二度続けると三度目に期待をかけたくなる。「三度目の正直」である。一方で、「二度あることは三度ある」とも言われる。どちらが本当なのだろう。確率としては後者だけれども、前者の方が前向きだ。どうせならもう一度挑戦しよう。三という数字は縁起がいいことを信じて。