いま大学は、ほとんどが学年制ではなく単位制だ。最近では一部の高等学校でも導入されるようになった。単位制では留年することがない。一方で、しっかりした履修計画を立てないと、後で慌てることになる。単位制は楽なようで実は厳しい制度なのだ。
単位制のもとでは、取得した単位数だけが卒業資格となる。科目の成績は考慮されないから、すべてが合格すれすれ(可)であっても堂々と卒業できる。でもそれでは大学に入った意味はない。単位数は勉学の最低条件を定めたものに過ぎないからだ。
単位制のもとでは、単位の取得が勉学の目的となりがちだ。結果として、何を学びたいかではなくて、単位を取りやすい科目に流れがちになる。勉強しないでも出席だけで、さらに言えば適当にさぼっても単位がとれる。そのような科目に人気が集まるようになる。
単位制は、しっかりした履修指導が前提となる。それがいい加減だと教育がおかしくなる。学生が早めに単位をとってしまって、最終年度に用意されている重要科目を履修しなくなるという現象も起こる。一方で、最終年度に必修科目を多くすると、卒業できない学生が多くなる。単位制は難しい。
単位制のもとでは、教える側からは必修科目は教えやすい。努力しなくても受講する学生を確保できる。学生も単位取得に必死になる。授業を厳しくしても学生はついてくる。選択科目はそうはいかない。講義としての魅力を高めなければ学生は集まらない。講義の質が問われることになる。
いま僕が担当している大学院の全学共通科目では、学部学生は単位を取得できない。にもかかわらず単位取得を目的としない聴講生が毎回少なからずいる。これは僕の魅力ではなく、毎回招聘しているゲストの魅力だけれども、単位とは無関係に聴講する学生がこれだけいるということは嬉しいことだ。
単位制が優れている点は、学生が主体的に、自らのカリキュラムを設計できることだ。学年制で科目が決まっていると勉学が受け身になる。ただ残念なのは、このような単位制を理解している学生が少ないことだ。教員も同じだ。単位制を活用した履修指導がほとんど行われていない。もったいない。