東西冷戦が終わって、民主主義と自由経済が勝利したように見えたとき、アメリカの政治経済学者のフランシス・フクヤマは、これを最終形態とみなして「歴史の終わり」と呼んだ。そうだろうか。むしろいま、そこから新たな歴史が始まったように見える。
20世紀は東西対立の時代、21世紀は南北対立の時代であると言われる。問題は南北対立が、東西対立よりもはるかに複雑なことだ。南どうしの対立もあれば、それに乗じて北どうしも対立する。東西南北のすべてが入り混じって対立する、そのような歴史が始まろうとしている。
東西冷戦後は、国際協調を旗印に、それぞれの地域で経済統合が進められた。しかしそれはあくまで経済成長が前提であった。ひとたび経済が停滞して余裕がなくなると、自らが大切になり、ナショナリズムが復活する。国際協調は、結局は金次第だったのだろうか。
民主主義は理想的な政治形態とされる。僕もそう信じている。しかし、国民が感情に走ったとき、民主主義は悪い意味でのポピュリズムになり、自らの首を絞めるしくみになる。その意味では民主主義は諸刃の剣だ。使い方を誤ると自らを傷つける。
グローバル化の流れは、世界を等しく豊かにするのではなくて、逆に格差をますます拡大してしまったように見える。富める国と貧しい国の格差の拡大は、結果として富める国を苦しめる。格差が世界規模でもたらす混乱の責任を、結局は富める国が負わなければならないからだ。
東西冷戦が終わって、そこで勝利したように見えた唯一の超大国は、自らを絶対的なものとみなして、異なる価値観に軍事力で強引に介入した。しかし、それは世界秩序を乱す新たな火種を生むだけの結果となった。すでに時代が変わって新たな歴史が始まっていたのだ。僕にはそう見えた。
市民革命と産業革命から始まって、資本主義、帝国主義、世界大戦、東西冷戦と続いた西欧中心の歴史は、ベルリンの壁の崩壊で一つの区切りを迎えた。それは大げさに言えば、近世に続く近代という時代の終焉であった。そしていま、新たな時代が始まろうとしている。歴史は動いている。