色男金と力は 2016.07.31-08.06

「色男金と力はなかりけり」。天は二物あるいは三物を与えないということだろうか。色男であったかどうかは別として、僕の場合はどうだったのだろう。それぞれの年代で、あるものとないものが、それぞれ違っていたような気がする。

学生時代は、金はなかったけれども、体力はあった。時間もそれなりにあった。何よりも未来があった。挫折も繰り返したけれども、後から振り返るとそれは糧となった。何にもないように見えたその年代が一番充実していたような気がする。

仕事について現役として働いているときは、少しは金ができた。一応体力もあった。逆に何がなかったか。それは時間だ。金と体力はあっても、好きなことをする時間がなかった。仕事も含め、毎日の生活に追われて、目先のことをこなすだけで精一杯であった。

仕事が定年になって現役を引退すると、それまでに比べると、時間がたっぷりできた。その意味では素晴らしい年代になったけれども、一方で体力の衰えを実感するようになった。金も老後のことを考えると厳しくなっている。とかくこの世はままならない。

定年になって、せっかく時間ができたのに、何もすることがなくて戸惑っている人が多いとも聞く。それは過去を基準にしているからだ。毎日の生活に困らないのであれば、新たに学び始めてもいい。ボランティア活動に参加してもいい。新鮮な気持ちになれば何でもできる。それが定年後なのだ。

現役を引退すると時間だけはあるように見えるけれども、それは曲者だ。なぜか歳をとると時間があっという間に過ぎ去ってしまう。残された時間、与えられた体力に感謝しながら、毎日毎日を大切に生きる。感謝していれば時間は長く感ずる。それが老後の過ごし方なのだろう。

「色男金と力はなかりけり」。金と力と色、もし天が一物しか与えてくれないとしたら、何を選ぶか。金は冥土に持っていけない。体力はそのうち衰えていくだろう。だとすればいつまでも色男でいたいと思う。それぞれの歳で色っぽさがあるはずだ。死ぬ直前まで色男でいられたら、それこそ本望だ。