科学の「夢」 2016.08.07-08.13 

いつの時代もその実現が待ち望まれていながら、そしてSFの世界でもたびたび取り上げられていながら、科学がその可能性を否定してしまった技術がある。確かにいまの科学では難しいかもしれないけれども、それは絶対に不可能なのだろうか。

物理学で光速を超えた運動を「夢」見ても、それは不可能とされる。相対性理論が許さないからだ。もし超光速で運動する粒子が発見されれば、物理学は新しい時代を迎える。ニュートン力学からアインシュタインの相対性理論へ。それに相当するパラダイムシフトが、今後絶対にないとは言い切れない。

化学では錬金術が「夢」であった。いまは不可能とされるけれども、金は宇宙誕生のときからあったわけではなく、その後に自然界が合成した物質だ。原子物理学が進歩して、原子の組成を自由に操作できるようになれば、人工的に金を合成することは夢ではない。

生物学の「夢」は、科学者が新たな生命、新たな生物の創造主となることだ。遺伝子と生物の関係を完全に解明して、そのもとで遺伝子合成技術を駆使すれば可能になる。創造だけではない。生物の進化も自由に操ることができる。それがどのような未来を意味するかは別として。

医学の「夢」は、すべての病を克服して、不老不死を実現することだ。絶大な権力を握った秦の始皇帝も、不老不死の薬だけは手に入れることができなかった。遺伝子治療や再生医学などの最先端の生命科学は、不老不死を果たして可能にするのだろうか。そのとき人は幸せになるのだろうか。

心理学の「夢」が超能力であると言ったら、心理学者は怒るだろう。超能力には、妄想でしかない能力と、未解明能力がある。後者は科学の対象であるけれども、両者の線引きが難しい。例えばテレパシー、その存在を実証することは難しいけれども、否定することはもっと難しい。

科学の「夢」は、そのほとんどがいまの科学を超えたところにある。したがって、中途半端に科学を装った研究はやめた方がいい。似非科学のレッテルを貼られるのが関の山だからだ。でも「夢」を持つことは大切だ。錬金術のように、それが次の時代の科学を生みだすかもしれないからだ。