私的「教育者の心得」 2016.09.04-09.10 

僕は大学院を修了するとすぐ大学の教員になったので、研究よりも教育にかける時間がはるかに長かった。若い頃は悩んだけれども、一方で学部の卒論や大学院の研究の指導教員として学生に接することは楽しかった。その経験から生まれた私的「教育者の心得」のメモ。

「感動を伝える」 研究者を育てるとはどういうことだろう。それは研究の感動を伝えることだ。そのためには指導教員自らが感動を持ち続けることが重要だ。感動を共有することによって、学生は研究の面白さと醍醐味を自らのものにできる。

「過度な指導をしない」 大学で学生の研究指導をするときに忘れてはならないことがある。研究するのは学生自身だということだ。それを忘れて過度な研究指導をすると、学生は育たない。自分の頭で考えなくなってしまう。依存心を持ってしまうからだ。

「邪魔しない」 どう考えても自分よりも優秀な学生がいる。その学生に対して指導教員ができることは邪魔しないことだ。指導よりも一流の研究環境を用意することが大切だ。それによって学生が一流の研究者意識を持てば、その学生は自ら育つ。指導教員を超える研究者となる。

「学生を師と思う」学生は自分の研究テーマに関してはエキスパートだ。直接関連する知識を指導教員よりも持っていて当然だ。むしろ指導教員が学生から学ぶことになる。そこでは学生が師なのだ。そう接することによって、学生は一人前の研究者として育っていく。

「自らの業績と切り離す」 理系の研究室では、学生が研究の担い手となる。その学生が優秀だと嬉しい。指導の成果が、教員の研究業績につながるからだ。しかしそこに落とし穴がある。自らの業績のために学生の研究に期待するようになると、それは教育ではなくなる。

「効率を求めない」 教育に効率を求めてはならない。教育者の心理として、優れた学生により多くの指導の時間をかけたくなる。しかし実際は逆だ。ごく少数の問題のある学生に、ほとんどの時間を費やすことになる。そのことを知ることから、本当の教育が始まる。