年に一度の記念日の一つに誕生日がある。誕生日は誰にでも平等に訪れる。そしてその日だけ主人公になれる。周りの人から無条件に祝ってもらえる。なぜこの日がそれ程までに特別なのだろう。なぜ人は誕生日を祝うのだろう。
昔は幼児の死亡率が極めて高かった。そのような時代に、誕生日まで生き延びたことは、本当におめでたいことだったのだ。誕生日はまさに生きていることを祝う日なのだ。それは僕のような老人に対しても言える。誕生日は感謝の日なのだ。(実は今日9月12日は僕の誕生日です。感謝です)
誕生日を公開しているソーシャルメディアを通じて、思いがけない懐かしい人から誕生日のお祝いのメールが届く。それぞれにお礼できないことがもどかしいけれども、嬉しい。メディアはもともと人をつなぐものなのだ。つながりをプライベートな誕生日に再確認する。いまはそのような時代だ。
運転免許証やパスポートには必ず誕生日の記載欄がある。銀行口座を開設するときも必要だ。いまの社会、誕生日を忘れたら生きていけない。それほど誕生日は大切なのだ。一方で国民の多数が自分の誕生日を知らず、パスポートへの記入が任意の国もあるらしい。文化の違いなのだろうか。
誕生日がくると、一つ歳をとる。それを理由に誕生日を毛嫌いする人もいる。確かに過去の若い日の栄光にすがっていると、誕生日は恐怖だろう。でもそれではせっかくの誕生日がもったいない。未来に目標を持てば、それに一歩近づく誕生日は、祝福すべき日になる。
占いでは、誕生日で一生の運命が決まる。星座占いが有名だけれども、誕生日の数字そのもので占うこともある。カップルの相性も誕生日で決まるらしい。どこまで信じていいのか僕にはわからない。一喜一憂するのもつまらないので、僕は自分を力づける占いだけを信ずることにしている。
なぜ誕生日が大切なのか。それは自分では選べないからだ。この世に生まれ出づること、それ自体が授かりものだからだ。授かりものをそのまま受け入れて、ありがとうと言う。そして年に一度、生きていることに感謝する。その個人の記念日をみなで祝いあう。誕生日はそのような日だからだ。