インタラクティブ 2016.10.09-10.15

マルチメディア技術の一つのキーワードに「インタラクティブ」がある。双方向的な対話機能を有することを言う。これは技術に限られない。もともと人のコミュニケーションは双方向で、インタラクティブは本質なのだ。ようやく技術が追いついてきたということなのだ。

情報機器と対話する仕組みの設計は、インタフェースデザインと呼ばれる。境界面のデザインという意味だ。そこにはインタラクティブ性が欠かせない。その本質は創発にあるけれども、一方でおせっかいなインタフェースにはイライラする。インタラクティブデザインは難しい。

美術館で展示されている作品に鑑賞者が干渉することは、普通は許されない。それに対して、鑑賞者の挙動に反応することに価値を見出す作品もある。インタラクティブアートと呼ばれている。自然、たとえば風に反応する作品もある。それもインタラクティブアートと呼べるかもしれない。

舞台で観客席が真っ暗で見えなくても、そこに観客の息遣いを感ずるという。その感じ方で演技が変わることもあるという。それは、舞台がまさにインタラクティブ芸術であることを意味する。映画はそうではない。舞台を大切にしている俳優が多いと聞くけれども、その気持ちはわかる気がする。

テレビはインタラクティブメディアではない。テレビ画面に大きく映ったアナウンサーの前で風呂上がりの裸の姿でいても、アナウンサーは驚かない。目をそむけない。こちらも恥ずかしくない。ネットと連携してインタラクティブにする試みもあるけれども、テレビの本質がそこにあるとは僕には思えない。

マルチモーダルのインタラクティブメディアでは、空間と時間の共有が鍵となる。その意味で理想的なメディアは鏡だとつぶやいたことがある。これに電子的な映像表現機能や記憶機能がつけば、それこそ究極のメディアになる。技術はまだまだ発展の余地がある。

顔は典型的なインタラクティブメディアだ。そこには文字通り見る・見られるの関係がある。相手から見つめられればドキドキする。インタラクティブの本質は、関係を持つこと、自分の存在が相手とは無関係でないこと、互いにそれに気づくことだ。顔は改めてそのことに気づかせてくれる。