ブーム 2016.10.23-10.29 

いまは人工知能ブームだ。現代社会はブームが好きだ。ブームは〇〇元年と呼ばれて鼓舞されることもある。たとえばVR元年。そういえば第4次産業革命も話題になっている。ブームは勇ましい。第5次、第6次の革命もじきに到来するかもしれない。

思い起こせばバブルの前後にさまざまなブームがあった。ファジィは1990年の流行語大賞に輝いた。やや遅れてニューロもブームになった。人工知能も80年代にもてはやされた。半ば冗談に、エアコンや炊飯器にその名前がつくと、ブームは終わると言われた。その通りになった。

ブームは脅迫する。乗り遅れたら敗残者になると。マスコミはブームをつくりだして、2度甘い蜜を吸う。ブームの到来を華々しく打ち上げるときと、蜃気楼だったと引きずり下ろすときだ。それに踊らされると、時代を見誤り、自分自身も見失ってしまう。

ブームは消費される。ブームには賞味期限がある。続けるには名前を新たにつける必要がある。情報技術は、マルチメディア、インターネット、IT、モバイル、ユビキタス、ビッグデータ、IOT・・・と、カタカナあるいはアルファベットの名前を巧みにつけ変えることによって生き延びてきた。

2016年はVR元年と言われている。VRの研究の歴史は長いから、正確にはVR実用化元年あるいはVR本格化元年と呼ぶべきだろう。ただしこれには多分に関連業界の期待が込められているから、本当に離陸するかはわからない。そう言えば、2010年は3D元年と呼ばれていた。

ブームの衰退は、必ずしも将来性がなかったからではない。その多くは技術が追いついていなかったからだ。技術の実力以上に周囲が期待を持ってしまったからだ。ブームが去って冬の時代が来ても、環境が整えば技術はまた花開く。ブームは繰り返し訪れる。

研究者は、ブームに対してクールでありながら、一方で利用しようとする。ブームに乗ったほうが研究費を獲得しやすいからだ。問題はブームが去った後だ。冬の時代を耐え忍びながらその研究を細々と続けるか、それとも新たなブームに要領よく乗り移るか、その決断を迫られることになる。