間接民生制 2016.12.04-12.10

直接民主制に対して間接民主制がある。それは、議会制民主主義の形をとることが多い。議会は選挙を通じて有権者から意思決定を信託された議員によって構成される。いまこの制度そのものが問われている。

間接民主制の問題点の一つは、議員が必ずしも政策や資質、能力で選ばれていないことだ。日本では、選挙で当選するためには、ジバン(後援組織)、カンバン(知名度)、カバン(選挙資金)の3つのバンが必要であるとされている。結果として世襲政治家やタレント政治家、金権政治家が多くなる。

間接民主制は、議会の常識と有権者の常識が遊離してしまうと危機になる。選挙だけが有権者の意思を知る機会ではない。例えば世論調査がある。それは法的な拘束力を持たないけれども、政治家はもっと敏感になっていいように思う。さもないと、ある日突然予測しなかった事態になるからだ。

間接民主制における選挙には、公約というものがある。有権者との間の約束であるが、そこに法的な拘束力はない。なぜか。それは勝手な解釈をすれば、議員はロボットではないからだ。議員がすべてロボットになってしまったら、わざわざ間接民主制にする意味がなくなる。

間接民主制で重要なことは、与えられた政治課題について自ら徹底的に勉強して調査する義務が、それぞれの議員にあることだ。その上で自らの責任において意思決定をする。その結論が公約とは異なるものになってもいい。そのときは有権者への丁寧な説明が必要になるけれども。

間接民主制には衆愚政治の防止という意味がある。一方で、大衆を愚者とみなしていては、間接民主制はなりたたない。大衆が賢者になることもあるのだ。どのような時にどのようにして大衆は愚者になり、あるいは賢者になるのか。その吟味がいま必要とされている。

間接民主制の要(かなめ)は、有権者の信頼だ。言うまでもないことだけれども、議会はその信頼に応えなければならない。それは選挙制度の設計も関係するから、決して簡単なことではない。しかし、間接民主制が崩壊して、ポピュリズムに陥りやすい直接民主制の時代になったら、民主主義は滅ぶ。