真実とは何かが問題となっている。真実は必ずしも事実ではない。客観的に実際にあったことが事実、それぞれが主観的に事実であると信じていることが真実だ。事実は一つ、真実は人の数だけあると言われる。事実と真実を混同すると社会的に混乱が起こる。政治家はその混乱を利用する。
真実には、事実に基づいたものと基づかないものがある。事実に基づいていても、そこに解釈が加わると、一つの事実から相異なる真実が生まれる。事実に基づかない真実にも、誤解によって生まれたものと、人為的に捏造されたものがある。後者は嘘とも言えるけれども、皆が信じれば真実となる。
裁判で証人は「良心に従って真実を述べ・・・」と宣誓する。ここでの真実は必ずしも事実である必要はない。証人が事実であると信じていることが重要で、偽りであることを知りながら証言すれば偽証となる。ただし、本当に事実と信じていたか偽りであったかは、本人以外にはわからない。
火のないところに煙は立たないと言われる。しかしそれは水蒸気であったかもしれない。火はなかったかもしれない。煙のようなものを見ても、火があることが事実かはわからない。ところが多くの人は、火が事実であると信じてしまう。そして火が真実となって炎上する。
大きな嘘は、事実ではなくても真実になる。しつっこく繰り返して感情に訴えれば真実になる。それはナチスのプロパガンダの常套手段だった。戦時中の大本営発表も、多くの国民にとって真実であった。事実とは別に真実がつくられた。そして悲惨な戦争に突入していった。
嘘も言い続ければ真実となって、皆が信じればそれは社会的に事実となる。実際にあった事実とは別に、もう一つの事実がそこに生まれる。不都合な事実は無視して、都合のよいもう一つの事実を作り出すことによって、思うがままに政治を操る政治家も現れる。
ネットで自由に流されるニュースは、それが事実である保証はない。たとえ虚偽のニュースであっても、信ずる人が多ければ結果としてそれが真実となる。そしてこの真実に基づいて政治が動く。民主主義の先進国とされている国で、いまそのような政治がおこなわれている。