感性 2017.04.23-04.29

感性とは何だろうか。いま巷には、いわゆる感性本があふれている。「感性を磨く」「感性で顧客を掴む」「感性ビジネス成功術」・・・。もちろん、それはそれでいい。厳しい競争社会で生き残り、人生に成功するためには、何よりも一早く時代を読み、人を出し抜く感性が必要なのだ。

僕が考えている感性は、競争社会を勝ち抜くための感性とは少し違う。いやかなり違う。役に立つ感性ではない。ひっそりと、ささやかでもいい。かけがえのない人生なのだから、せっかく授かった命なのだから、せめて少しでも心豊かに生きたい。そのときにそっと寄り添ってくれる感性だ。

僕が感性に興味を持ったきっかけに、顔の研究がある。美しい顔、端正な顔、それはそれで僕は好きだけれども、こちらがニコッと微笑んだら、一緒にニコッと微笑んでくれる顔はもっと嬉しい。それこそ顔の感性だ。なぜ嬉しいのか。なぜそこに感性を感ずるのか。それが僕にとっての顔学だった。

感性は自分ひとりで頑張って磨くものではない。感性は取りにいくものではない。もちろん勝ち取るものでもない。心優しい人に囲まれて、豊かな自然に包まれて、感謝しながら心豊かな人生を送る。それができれば、自然に育まれるものなのだ。授かるものなのだ。

私たちは毎日の生活に追われている。いつも感性を持って心豊かに生きるなんて、とても無理だ。そう思う人もいるだろう。そうなのだ。無理な話なのだ。ときには焦ることもある。人に嫉妬することもある。そのような自分が嫌いになることもある。

いつもとは思わずに、せめて一割くらい。そう思えば、感性的な生活を送ることも、もしかしたら可能かもしれない。残りのほとんどがそうでないから、一割が大切な素晴らしいものと思える。感性は欲張りになってはいけない。

十割でなくていい。一割をかけがえのないものとして生きる。そして授かったものを大切にして、感謝して生きる。そのようなささやかな生き方ができること。それが僕が思う感性だ。そう思えば、感性を大切にして心豊かに生きるということは、そう難しいことではない。