お金 2017.05.21-05.27

僕は子どもの頃「お金のことに執着する人間になるな」と、親から言われて育った。それもあって、その後お金にはほとんど関心を持たず、かつ縁がない人生を送ってきた。お金は増えなかったけれども、知らず知らずのうちにお金についての雑学だけは増えていった。

日本銀行で発行するお金は特別のことがない限り無効になることはない。例えば聖徳太子の一万円札や千円札、百円札はいまでも使える。どう見ても米国という字に似ている拾円札もその額面で有効だ。もちろんオークションに出せばもっと高額になるけれども。

お金は、それ自体は紙や金属でしかない。紙としての価値、金属としての価値は(一円玉を除いて)額面に比べてはるかに低い。記念コインの中には、含有されている金の価格が額面以上のものがあるけれども、貨幣を鋳つぶすと貨幣損傷等取締法によって犯罪となるからしない方がいい。

百円玉や拾円玉などの貨幣には製造時期を記した年号が刻印されているけれども、紙幣には年号がない。紙幣には記番号と呼ばれる通し番号と記号があって、それによって製造時期や製造工場がわかるからだ。貨幣については、昔は質を保証するために製造年の刻印が重要だったとする説がある。

戦後すぐの一円札は二宮尊徳だった。お小遣いに貰った一円札の番号がみな同じでびっくりしたことを覚えている。もしかしたらそれは偽札だったのだろうか。ずっと気になっていたけれども、そのようなお札が発行されたことを最近知った。僕の記憶は正しかった。

拾円玉には平等院鳳凰堂がデザインされている。僕の子どもの頃の拾円玉は周りにギザギザがあって、それには二種類あった。屋根に乗っている鳥が雄の拾円玉と雌の拾円玉だ。尾の形で区別できる。ちなみに鳳凰の鳳が雄、凰が雌らしいが、なぜ拾円玉が二種類あったのかはわからない。

日本がニホンなのかニッポンなのか正式の決まりはない。ところが、お札にはNIPPON GINKOとある。なぜか。明治時代の大蔵大臣だった松方正義、当時の日銀総裁がいずれも薩摩出身だったので、薩摩での発音「ニッポン」がそのまま採用されたらしい。お金にもさまざまな政治的な裏がある。

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