日本人は決してシャイではない。こんなに歌うことが好きな民族なのだ。それも人前で堂々と。そう改めて認識したのがカラオケだ。一方で僕はシャイだから、年に一度くらいしかカラオケにいかない。歌えるのも数曲だ。早めに歌うと後が続かないから、いつも時間配分に苦労する。
カラオケは日本発とされる。90年代前半にマルチメディアが騒がれていたころ、仕事のためのマルチメディアはアメリカ発が多いけれども、人生を楽しむマルチメディアは日本の得意芸だと講演したことがある。その代表がカラオケだ。日本が誇るべき文化なのだ。
カラオケは、バーやスナックで普及した。でも僕はそれが嫌いだった。誰かが歌い始めると、うるさくて会話ができなくなってしまう。じっと黙ってカラオケが終わるのを待つ。そして、次のカラオケが始まるまでのわずかな時間に会話する。次第にそのような場所から遠ざかるようになった。
MPEGという動画像を圧縮する技術がある。もともとはCD-ROMの動画記録用に開発された。僕の記憶に間違いなければ、それが最初に本格的に使われたのはCDカラオケだ。初期のMPEGはブロックノイズが目立った。カラオケで歌っていても、そればかりが気になっていた。
カラオケボックスで歌っていてあるとき気づいた。順番に歌うのだけれども、誰も聞いていない。みな次に何を歌うかを一所懸命検索している。カラオケは聞かせるために歌うのではないのだ。もっぱら自己満足なのだ。誰も聞いていなければ、恥をかくこともない。
かつてのカラオケには、楽曲リストの紙版の厚い冊子があった。それをパラパラ眺めて歌えそうな曲を探すことができた。でもいまはそうはいかない。電子的に検索する形になっているから、歌いたい曲が予め決まっていないと何もできない。僕みたいな初心者には不便になった。
いまカラオケは素人でもプロなみに上手い。対抗するには笑いをとるしかない。そう思って自己流の歌い方を編み出したら、それが変に受けた。巡り巡って、超有名プロデューサーが総合演出する地方大ホールでの文化人歌謡大会に誘われた。そこで準グランプリをとった。一発芸でしかないけれども。