叱る 2017.07.09-07.15

ある会合で、最近は子を叱らなくなったという話題がでた。たとえば電車の中で子が悪ふざけして周りが迷惑しているのに、それを叱らない親がいる。僕は少なくとも叱るふりだけはしてほしいと思う。それが周りに対する配慮だ。逆に知らぬ顔でスマホに向かっている親は最悪だ。

「叱る」と「怒る」は違う。怒るは自分の感情をぶつけること。それに対して、叱るは相手のことを考えること。怒るは自分のため、叱るは相手のため、怒らないで叱る。これは職場で部下を叱るときの心得らしい。そう言えば育児書にも書いてあった。部下を叱るのも幼子を叱るのも同じなのだ。

「叱る」と「注意する」は違う。注意するは、ある特定の行動に対して気をつけるように言うこと、一方の叱るは、その相手の行動全体あるいは姿勢を問題にする。個々の注意が重なると、叱りたくなる。本当は注意するだけでいいことでも、つい叱ってしまう。そして関係をこじらせる。

注意したつもりでも、叱られたと思ってしまう。叱ったつもりでも、怒られたと思ってしまう。そのすれ違いがいま問題になっている。なぜか。注意あるいは叱られることに免疫がついていないからだ。ちょっとした注意でも、自分の全存在が否定されたような気になる。そして立ち直れなくなる。

叱り上手という言葉がある。叱り方にも上手と下手があるようだ。みなの前では叱らない。できるだけ短くしかる。言い換えればくどくどと叱らない。叱った後のフォローも大切だ。厳しく叱り、叱った後は励ます。そしてもう一つ、相手の言い分をきちんと聞いてから叱る。これが一番難しい。

いま街で、他人の子を叱ることはほとんどない。なぜ、叱ってはいけないのだろう。このような意見がある。叱るのはある特定の価値観に基づく。その家庭は別の価値観で教育しているのかもしれない。叱ることで異なる価値観を押しつけることはよくない。一見正しそうだけれども、どこか違う。

学校で生徒を叱れなくなったと聞く。叱る教育と褒める教育、どちらも大切なのに、なぜか褒める教育ばかりを持て囃すようになった。その結果、叱られないまま育った子が大人になって社会人になっている。そしていま、その世代が親になって、子を育てている。