僕は小さいときから隅っこが好きだった。隠れているわけではない。そこに籠るわけでもない。逆に広々としたところの真ん中にポツンといるのが嫌いだった。行進するときも先頭ではなく、最後尾がよかった。それはいまでも変わらない。
隅っこにいても、壁に向かっているわけではない。たとえば喫茶店では壁を背にして座る。それが好きだった。空間の真ん中にいると、周囲から見られている可能性がある。どこからともなく見られていると落ち着かない。むしろ見る側にいた方が安心できた。
隅っこにいて、壁を背にしていれば、後ろには誰もいない。それがよかった。逆に後ろに誰かいると、気になった。そう言えば、昔愛読していた劇画ゴルゴ13の名スナイパー、デューク東郷がそうだった。彼にとって背後を取られることは死を意味していたからだ。
隅っこにいると、空間全体を見渡すことができる。いまその空間に誰がいるか。何が起きているか。それがすべてわかる。もともと僕は一点に集中するよりも、全体を俯瞰することが好きだった。もしかしたら、それは知らず知らずのうちに僕の研究スタイルになっていたのかもしれない。
心理学的には、隅っこに座りたがる人は人間関係が下手で、他者と距離を置きたがる傾向のある人、そうなるらしい。隅っこに座ることが好きな僕はそう診断されてしまうのだろうか。隅っこにいたほうが、近くにいる人と親密に話すことができる。それもあるように思うけれども。
集合写真を撮るときも僕は隅っこが好きだ。ところがこの歳になると、最前列の椅子席の真ん中付近に座らされることが多くなった。それも強引に。おそらく配慮なのだろう。それとも、最前列の真ん中でないと怒りだす年寄りもいるのだろうか。
授業で、学生は後ろの隅の席から座る。その気持ちはわかるけれども、講義する立場からは困ることがある。前方はほとんど空席で、はるか遠くへ向かって話さなければならないからだ。やはりそれは疲れる。次回から僕が後ろの隅っこに行って、そこから講義するようにしようか。