スピード 2017.07.30-08.05

いまはスピードを重視する時代。オリンピックには、スピードで勝敗を決める競技はたくさんあるけれども、遅さを競う競技はない。当たり前のようにスピードを競っているけれども、それはなぜなのだろう。ゆっくり、ゆったりではなぜいけないのだろう。

僕の勝手な印象だけれども、スピードは近代になってからの価値観のように思える。近代はスピードを追い求めた時代。新幹線しかり、航空機しかり、ファーストフードもそうだ。近代にあっては、スピードが速いことが、それ自体で善であった。それをみなが信じて疑わなかった。

スピードは、語源をたどると目的達成、成功、繁栄などの意味を持つらしい。共存よりも競争を重視する社会では、スピードが勝敗を分けることになる。仕事や人生の指南書にはそう書いてある。しかし一方で、ひたすらスピードを競う社会は、結局は自分の首を絞めているのではないか。それが気になる。

車の運転では、スピードを上げれば上げるほど視界が狭くなる。そうなのだ。ひたすらスピードを上げている時代は、前しか見ていないのだ。それによって周囲が見えなくなっているのだ。自分中心になってしまっているのだ。現代は、まさにそういう時代なのかもしれない。

かなり前になるけれども、海外に少し長く滞在して、久しぶりに東京に戻ったときに思ったことがある。街で周りの人がみな自分を追い抜いていく。なぜそんなにスピードを出すのだろう。じきに反省すべきことがおきた。1か月もたたないうちに、僕が自然に周りを追い抜くようになったのだ。

21世紀になってからであろうか。スローライフが話題になるようになった。僕は賛同するけれども、都会では必ずしも受け入れられていないように見える。時代がまだ追いついていないのだろうか。それともスローライフは、スピードの時代だからこその理想郷に過ぎないのだろうか。

高齢者の実質年齢を測る尺度として歩くスピードがある。1992年と2002年の高齢者の歩くスピードを比べてみると、男女ともに11歳若返っているとのデータがある。いまではもっとかもしれない。僕自身が高齢者になって、スピードを重視しない生き方になったけれども、これだけは気をつけよう。