芸と道 2017.08.06-08.12

かつて誘われて華道の展覧会に行ったとき不思議な気持ちになった。どれも素晴らしいのだけれども、これはアートなのだろうかと。少なくともここに展示されている作品は後世に残らない。あと数日で朽ちてしまう。作品を残す営みがアートだとすれば、これはアートではない。

伊勢神宮は世界遺産でない。遷宮によって20年ごとに社殿だけでなく装束・神宝なども新しくされるからだと説明される。一方で20年ごとに新しくなっているので、宮大工や各種の工芸技術が伝承されている。モノとしては残らないかもしれないけれども、文化は確実に後世に伝わっている。

考えてみれば日本の文化には、作品として後世に残らないものが多いような気がする。それは石の文化と木の文化の違いなのだろうか。石の文化が作品というハードウェアを残すしくみだとすれば、木の文化は人を通してソフトウェアを伝承するしくみなのだ。人そのものが文化なのだ。

芸道という言い方がある。華道以外にも、たとえば茶道、書道、香道などがある。芸道それ自体は、技芸だけではなく雅楽や歌舞伎を始めとする芸能、さらには柔道・剣道・弓道・合気道などの武道も含まれる。それにしてもなぜ道なのだろうか。

作品ではなく人を通して文化を伝承するためには何が必要か。もちろん、技術をしっかり後継者に伝えることが大前提だ。しかしそれだけでは伝承できない。人を通した文化の伝承は、師匠と弟子の間の信頼関係が必須となる。そこに精神性が要求され、術だけでなく、道として人間を磨くことが重要になる。

人を通した文化の伝承には、組織的なしくみが必要となる。その一つとして家元制度が生まれ、時としてそれは血統によって支えられるようになった。その権威のもとで、秘伝が以心伝心で伝授される。そこでは修行を経て道を究めることが、芸は継ぐために必須とされた。

アートも含めて文化は、作品つまり形あるものとして後世に残るものなのか。それとも人の営みそのものを道として後世に伝えていくものなのか。後者だとすれば、華道のように作品が数日で朽ちてしまう営みも理解できる。もしかしたら人が生きること、それ自体がそうなのかもしれない。