その日暮らし 2017.08.27-09.02 

最近の僕の暮らし方は若いときと違ってきた。それを一言で表現すると「その日暮らし」なのかなと思う。そんな怠惰な生き方でいいのかと叱られそうだ。でもいま僕にできることは、まずはその日を暮らすこと。それが大切になってきた。

「その日暮らし」には、あまり良いイメージはない。その日の収入だけで何とかその日を暮らすこと。戦後、日本人はそのような暮らし方から脱出しようと懸命に頑張ってきた。二度とそのような暮らし方はしたくない。それは僕のような戦後世代に共通する実感だ。

「その日暮らし」には、その日がよければそれでいい、将来に対する見通しがなくても、何となくその日を暮らせればそれでいい。そのような刹那的な意味もある。戦後を一所懸命頑張ってきた世代には、この価値観が許せない。今の若者はその日暮らしでけしからんと憤る大人も多い。

僕にとっての「その日暮らし」は、その日がよければそれでいいとする暮らし方でなく、その日を大切にする暮らし方だ。僕より高齢の方が数多くおられるのにこのような言い方は失礼にあたるけれども、この歳になると明日も生きている保証はない。とりあえずその日その日を感謝して生きるしかない。

「その日暮らし」をしていても、明日のことを考えていないわけではない。明日のためにしっかり準備をすることも、その日を大切にすることだ。結果として明日がなくて、その準備が無駄になってもいい。明日のためにその日を感謝して大切に生きる。それは変わらないのだから。

未来は、「その日暮らし」の積み重ねなのではないかと思うこともある。未来があるから、今があるのではない。今があるから未来がある。さらに言えば、未来がなくても今はある。「その日」は、子どもにも青年にも、明日死ぬかもしれない老人にも、等しく共通にある。

近代という時代は、「その日暮らし」を暮らし方としても、生きる思想としても否定してきた。それに異を唱えて僕は「その日暮らし」を推奨しようとしているわけではない。でも今、少しずつそれに魅力を感じだしているのは、僕の歳のせいなのだろうか、それとも時代が要求しているのだろうか。