食は文化であると言われる。僕の尊敬する友人にもグルメな人が多い。料理の味、料理に関する知識について詳しいことを、グルメと呼ぶらしい。その意味では僕はそうではない。料理の知識は皆無に近い。美味しい料理は美味しいと素直に思うだけだ。
少し前になるけれども、あるパーティの抽選で家族が一番をあててきた。その景品が松阪牛の霜降りサーロインステーキだった。家族そろって有難くいただくことにした。確かに美味だった。そのとき思った。これを牛肉と呼んでいいのだろうか。まったく別物だ。普通の牛肉もそれはそれで美味しい。
かなり前になるけれども、有名な料理評論家に誘われて、数寄屋橋にある超有名寿司店でランチしたことがある。遅刻厳禁、おまかせの握り寿司だったけれども、その味は素晴らしかった。そのときも思った。これを寿司と呼んでいいのだろうか。まったく別物だ。普通の寿司もそれはそれで美味しい。
僕は料理に関する知識は皆無だ。それには理由がある。美味しい料理を食すと、僕の脳は料理の名前を覚えるという部位の機能が完全にマスクされてしまうのだ。美味しいという感動だけで、それ以外は何も記憶に残らない。同じ料理を2度と食すことができない。もちろん人に勧めることもできない。
ある地方都市で開かれたグルメをテーマとしたシンポジウムに、急遽ピンチヒッターで出たことがある。他の演者は、テレビのグルメ番組で有名な方ばかり。僕はまったく話題についていけない。さあどうしょう。仕方なく「人グルメ」、人を喰った話をした。
グルメでも何でもない僕が言うのも変だけれども、料理の味は何で決まるのだろう。このような実験がある。ナトリウムランプで照らして、料理の色をすべて消してしまう。果たしてそれは美味だろうか。僕にはそうは思えない。料理は味覚だけで味わうものではない。五感すべてを総動員するものなのだ。
料理の味に関して、僕の持論がある。それは誰と一緒に会食するかで、料理の味のほとんどが決まってしまうということだ。好きな相手と会食すれば美味しいし、そうでない相手と会食するとそうでなくなる。それが僕のグルメだ。これからも僕なりのグルメ人生を歩んでいきたい。