植物 2017.10.01-10.07

家をリフォームして、ささやかながら一坪ほどの庭ができた。鉢植えが中心だけれども、そこで栽培された植物をしげしげと眺め、対話する時間も少し増えた。都会生まれ都会育ちの僕にとって、それは新鮮だった。この歳になって遅いと言われそうだけれども。

植物は動けない。土砂降りになっても、冷たい雪が積もっても、そこから逃げることができない。じっと耐えるしかない。何ともいじらしい。みな一つの所で命懸けで生きている。まさに一所懸命だ。そう思うとこの上なく素晴らしい、尊敬すべき存在のように見えてきた。

植物は、動けないから自分自身でできることは限られている。自然から支えられなければ生きていけない。生殖は蝶や虫の助けがなければできない。自然の風も大切だ。もともと植物は共生を前提として生きている。動物であるヒトはそれを忘れてしまった。その当たり前のことを植物は教えてくれる。

動物はエネルギーを摂取するために口ができ、その周りに感覚器ができた。それが顔だ。植物の顔はどこだろう。花が顔のように見えるけれども、エネルギーの取入れ口という意味では実は根っこかも知れない。根には、栄養分を求める感覚器があって、さらには呼吸する根もあると聞いたことがある。

植物の顔が根っこだとすると、顔に見える花は何なのだろうか。それは生殖器官かもしれない。顔である根っこを地中に押し込んで、逆立ちをして生殖器官を上にしている。そして、それを美しく彩って見せびらかしている。それが植物の姿だ。何とも色っぽい。

実は僕はいままでほとんど植物に関心がなかった。もしかしたらそれは小学校の理科に問題があったのかもしれない。その内容は春の七草、秋の七草を始めとする植物の名前を、ひたすら暗記することだった。見たこともない植物の名前を覚えることは苦痛だった。自然に自然から遠のいていった。

植物は、土に育てられ、そして土に還る。ヒトも同じだ。最後は土に還る。それはどういうことなのか。植物の生き方に学ぶことによって、人生の一番大切なところを教えてもらえそうな気がする。人生の師がまた増えた。