雑用 2017.10.22-10.28

おそらくすべての職業でそうであろうけれども、学術研究の世界でも、ある年齢になると雑用が多くなる。もっと研究の時間を確保したいのに、雑用に時間をとられてしまう。雑用とどのようにつきあったらいいのか。それは僕にとって永遠の課題だった。

雑用とは変な言葉だ。直接的な意味は雑多な用務であるが、何しろ「雑」という漢字がよくない。そこには何となく重要でない、本務とは関係ないというイメージがある。一方で、雑用を誰もしなくなったら、組織は成り立っていかない。雑用は雑な用務ではないのだ。

雑用を命ずる上司は、それを雑用だと思っていない。一方で、受け取る方は、それは自分の本務だと思っていない。そのずれが問題となる。雑用を部下に頼むときは、きちんと本務であることを説明することが大切だ。それができない雑用は安易に作るべきではない。説明なしに部下に押しつけるべきでない。

雑用に悩みながらときどき思う。どうせ雑用をしなければいけないのなら、楽しくやらなければ損だ。さらに言えば、せっかくの自分の時間を費やすのだから、自分にとってプラスにしなければつまらない。雑用を雑用とせずに、成長の絶好の機会だと思えば、雑用も苦ではなくなる。

雑用にもやり方がある。完璧にやろうとするときりがない。90%を95%に持ち上げようとすると、それまでの数倍以上の手間がかかる。適度なレベルで打ち止めをして、それを報告するときは完璧にみせかけるための智慧が必要とされる。雑用にもプロとアマチュアがある。

研究者にとって、例えば学会の雑用、ほとんどがサービスだけれども、僕は必須だと思ってやってきた。いまから振り返ると、それは僕の財産になった。学会で雑用することにより、その分野を代表する研究者から多くのことを学ぶことができた。ネットワークも広がった。

研究者の評価は、研究業績と雑用の積だと、若いとき長老の教授に言われた。いま僕がその年齢になって、同じことを若い研究者に言うつもりはない。もしかしたら長老が僕に雑用をおしつける口実だったかもしれないからだ。だとしても僕はその長老に感謝している。雑用が僕を育ててくれた。