二兎 2017.11.05-11.11

「二兎追うものは一兎も得ず」ということわざがある。同時に二つのことをやろうとすると、結局はどちらも失敗する。成功するには一つに絞ったほうがいい。そういう意味だ。一方で一兔だけを追っていると、もっと素晴らしい兔が他にいても気づかない。どちらがいいのだろう。

二兎追うものは一兎も得ず。そう言われているけれども、一兔だけを追ってたまたま二兎を捕まえることもある。それを「一挙両得、一石二鳥」と言う。しかしあまり期待しない方がいい。期待して欲をださないほうがいい。二兎を得ることはそう簡単ではない。

二兎追うものは一兎も得ず。確かに目標がはっきりしていて、その達成だけを目的とする場合は、一兎だけを追った方が効率的だ。ではいつも一兔だけがいいのか。一兔だけだと、その一兔を捕らえたときに目標がなくなってしまう。もちろん、その一兔を逃した場合は、何も残らない。

二兎追うものは一兎も得ず。教育ではどうだろうか。一兔だけを追う教育、たとえば有名校に合格することだけを目的とする教育は、それにあたるだろう。親はその一兔を期待するかもしれないけれども、子どもにとって本当にそれだけでいいのか気になる。

「二兎を追う」。それが僕が最近まで関係していた高校の教育方針だった。二兎とは学力と人間力だ。高校の3年間、学力をつけることは大切だけれども、それだけでは長い人生は生きられない。受験に成功しても、人間的な成長がなければ、その子に未来はない。

「三兔を追う」。子育てをテーマとした会議で、このタイトルで講演したことがある。人はホモサピエンス(英知人)であるとともにホモルーデンス(遊戯人)、ホモファーベル(工作人)だ。それぞれに対応して学ぶ力、遊ぶ力、創る力を身につけなければ大人になれない。それが三兔だ。

人は一生に何羽あるいは何匹の兔を追うのだろうか。その道一筋、脇目もふらずにただ一兔だけをひたすら追い求める。そのような人生もあるだろう。一方で、いつも新たな兔を次々と追い続けて、さまざまな経験を積むのも楽しい。なにしろ人の人生は一回だけなのだから。