プロデューサー 2017.11.19-11.25

演劇の世界では、俳優に加えて演出家がいる。プロデューサーがいる。スターとして人気があるのは俳優だ。学問の世界も同じかもしれない。目立つのは直接業績をあげた研究者だけれども、その裏には研究指導者、そしてプロデューサーがいることを忘れてはならない。

人は誰でも齢を重ねると、多かれ少なかれプロデューサーとなる。会社では部下を統括する。大学でも研究室を持つと、そこでの主たる役割はプロデューサーだ。家庭も同じだ。父親でも母親でもいいけれどもプロデューサーが必要だ。プロデューサーの能力は、誰にも必要とされる。

プロデューサーには何が要求されるか。まず思いつくのは、人のネットワークを組織する能力と、資金調達の交渉力だ。いずれも人を相手にする。人から信頼されなければプロデューサーはできない。そこで大切なのは、そのプロデューサーの人柄、そして人間力だ。

プロデューサーには体力も要求される。まずは疲れないという体力。それだけではない、あきらめないという精神的なタフさも要求される。妥協しない、ゆずらないという初志を貫徹するしぶとさも必要だ。それも体力だ。

プロデューサーには、組み立て能力が要求される。単にプロジェクトをどう組み立てるかではない。それ以上に大切なのは、未来を組み立てることだ。イベントや組織のプロデュースはそのための手段でしかない。未来のプロデュース、それができるのがプロデューサーだ。

プロデューサーは、孤独でかつ報われない役割かもしれない。ときに怒りたいこともあろう。しかし怒ってはプロジェクトは進まない。プロデュースしたスターだけが絶賛されて、自らは評価されないかもしれない。その寂しさに耐えることができなければ、プロデューサーにはなれない。

戦後日本を代表するイベントのプロデューサーの講演を聞く機会があった。数あるプロデューサーの条件の中で、最後に挙げられたのは「自慢しないこと」であった。これは難しい。縁の下にいるプロデューサーが、自分をアピールできるのは自慢しかない。それもしないのが真のプロデューサーなのだ。