歴史 2017.12.10-12.16

このところ少し時間に余裕ができたので、専門とは関係ないことに興味を持つようになった。そのなかで特に歴史は面白い。我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。それに答えてくれるのが歴史だ。歴史は必ずしも過去ではなくて、未来でもある。

宇宙には138億年の歴史がある。少なくとも宇宙が生まれてから今に至るまで、時間は連続している。連続しているからには、その全体を貫く通史があるはずだ。歴史に興味があると言うとどの時代ですかと問われるけれども、僕の歴史の勉強は通史から始まった。

宇宙誕生以来の通史に興味をもって、まずは「宇宙の歴史」について講演したときに歴史学者に叱られた。歴史学は史料に基づく学問であるので、人が残した史料がない時代には歴史は存在しない。さすが専門家は厳密だと思ったけれども、とりあえず素人の講演ということで許していただいた。

歴史を勉強していて違和感を持つことがある。ほとんどが「誰が何をした」という歴史なのだ。人が歴史を作ったのか、それとも時代がその人を生み出したのか。たとえばナポレオンやヒトラーがいなければ、今という時代は大きく違っていたのか。歴史書を読んでも、それはまったくわからない。

歴史は難しい。たとえば教育現場で、生徒に歴史を身近に感じてもらう方法は、それを現在におきかえて解釈することであろう。でも本当にそれでいいのだろうか。過去は決して現在ではない。過去を現在というフィルタを通して見ると、歴史認識を誤ってしまう。

僕は歴史を勉強するときに、事実よりも背景に興味がいってしまう。たとえば生物の進化の歴史は、地球の活動がどう関係しているのか。人類が生まれてからの歴史も、気候環境がどう影響しているのか。それはこれからの地球環境が人類のどのような歴史を生み出すかに関係しているはずだ。

これから人類はどのような歴史を歩んでいくのであろうか。科学技術が指数的に進化する時代にあって、それはもはや予測不可能だとする説がある。いずれにせよホモ・サピエンスとしての人類は、いつかは滅亡するだろう。もしかしたら意外に近いのでないか。それが気になる。