窓 2018.01.14-01.20

ある喫茶店で読書しているときのこと。疲れたので窓のカーテンを開けたら、目の前に見えたのは隙間なく建っている隣のビルの窓だった。どちらも開かずの窓だ。この窓はどのような意味があるのだろう。そもそも窓とは何なのだろう。考え込んでしまったら、読書ができなくなってしまった。

冷え込む夜に家路を急いでいると、道に沿ったそれぞれの家の窓に明かりが灯っていた。実際は知らないけれど、暖かそうな家庭がそこにあった。祝福したくなった。深夜まで明るいのは受験生の部屋なのかもしれない。頑張れよと心のなかで励ました。窓はまさにディスプレイなのだ。

窓は部屋からは外の世界を映しだすディスプレイだ。もともと技術の世界にいた僕は、つい夢想してしまう。窓を大画面立体インタラクティブディスプレイとしてデザインしたらどうなるだろうか。水平線に沈む夕陽を映せば、部屋は海辺のリゾートホテルの一室になる。アルプスの風景を映し出してもいい。

窓にもいろいろある。女性はウィンドウショッピングが好きだ。眺めるだけならば、お金がかからない。かからないだけでなく、眺めているだけでその店のポイントが貯まるサービスを始めたらどうか。店の方も、ウィンドウの前で立ち止まる客の年齢層や性別を分析すれば、マーケティングに役立つ。

窓あるいはウィンドウから何を連想するか学生に聞いた。ある情報系の学生の答えはコンピュータの画面だった。別のある学生は窓関数という信号処理分野の専門用語がすぐ浮かんだらしい。もっとロマンチックになれよと言いたかったけれども、それは僕も同じなので、よく勉強しているとほめておいた。

ヒッチコックの代表作に裏窓と題したサスペンス映画があった。そこでは窓は劇場だった。タイトルを忘れてしまったけれども、ある映画に恋人どうしが別れるときに窓を通してキスするシーンがあった。感動的だった。窓は人生であり、ドラマにもなるのだ。

中世の教会は窓をステンドグラスで飾った。それはまさに光の芸術だ。いま窓アートという言葉もあるらしい。外から見た窓、内から見た窓、それぞれが美しい世界を演出できたら素晴らしい。窓は単に明かり取りとしてあるのではない。