試験勉強 2018.01.28-02.03

僕は大学で教師をしていながら、試験が嫌いだった。学生のときはもっと嫌いだった。いまでもときどき試験をうけている夢をみる。それはいつも悪夢だ。そう言えば試験勉強の夢は見ない。夢の中では試験勉強は一切していないらしい。

学生のとき、僕の試験勉強はほとんどが一夜漬けだった。一夜漬けで忘れないうちに試験に臨む。それは効率がよかったが問題があった。試験が終わったらすぐ忘れてしまうことだ。真の学習は決して一夜漬けではできないことを学んだ。しかし次の試験ではいつも忘れて、一夜漬けをくり返していた。

試験で一夜漬けを得意としていた僕は、あるとき大失敗をした。それこそ命を懸けていた試験の前夜に停電になったからだ。蝋燭のもとで頑張ろうとしたけれども、頭を痛くするだけだった。その翌日は朦朧としながら試験を受けた。結果は惨憺たるものであった。幸い追試に救われたけれども。

僕は暗記が苦手だった。例えば化学、それぞれの反応式を覚えられないので、とりあえず僕は周期律表だけを覚えた。試験のとき、問題を読む前にまず答案用紙の余白に周期律表を書いた。それをみながら問題を解いた。それが結果としてよかったのかもしれない。学問とはそういうものだからだ。

前に公認カンニングペーパーについてつぶやいたことがある。僕の試験勉強は、直前に覚えられるように、講義全体を一枚の紙にまとめることであった。誓って言うけれども、試験中に盗み見たことはない。しかしそれはいい勉強になった。学んだことを一枚にまとめる。それはいまでも学生に勧めている。

試験さえなければ、学ぶことは楽しい。試験があるから、学ぶことが嫌いになる。学ぶことよりも単位をとることだけが自己目的化する。なかには不正をする人もでてくる。試験には功罪があるのに、教師はなぜか試験を厳しくすることだけを、その道から要求される。

試験勉強は、前向きにとらえれば、実にいい勉強法なのだ。あるとき正規の学生でない社会人の聴講生が申し出てきた。単位はいらないけれども、試験だけ受けさせてくれますか。もちろん僕は許可した。採点したらその聴講生が最高点だった。