今年も確定申告の季節となった。年金生活者であっても、それ以外の収入がある程度あれば申告しなければならない。年中行事のようになっているけれども、年に一度くらいは税金とは何かを国民が考える。それは決して悪いことではない。
税金の問題は、あまりにも複雑すぎて、庶民にはほとんど理解できないことだ。たとえば配偶者控除の是非が問題になった。働く意欲を削ぐことがあるからだ。少しずつ改善がなされているけれども、これには住民税や所得税、社会保険の被扶養者資格なども関係する。そう簡単な話ではない。
いま都会では、隣近所で助け合うことはほとんどなくなった。それは税金を負担するという形で行政にアウトソーシングされている。たとえば子育て、近所で助け合うことはほとんどなく、税金による保育所の整備だけが叫ばれる。それを当然だと思う時代になっているけれども、本当にそうなのだろうか。
税金の使われ方に不満を持ち、納税する代わりに寄付をすることで自ら社会に貢献したいと考えている人もいる。これも一つの考え方だ。日本では寄付文化はまだ根付いていない。芸術や文化、さらには地域を対象として、寄付税制はもっと充実されていい。
グローバル化の時代、ある若い人から国という仕組みは不要なのではと質問を受けた。立地が関係ないIT関連企業は優遇税制がある国の方が有利だ。巨大企業の税逃れも問題になった。この質問に対してどう答えたらいいのだろうか。そもそも税金とは何かを説明しなければ答えられないのだろうか。
税金は富の再分配の仕組みだと言われている。これに基づいて進められるのが福祉国家政策だ。一方で経済に余裕がなくなると、再分配よりも経済競争を重視する政策がとられる。欧米では1970年代から、日本ではバブル崩壊以降にそうなった。結果として全世界的に格差社会となった。
政治家は減税を主張する。減税は有権者にとって心地よく聞こえる。しかし、国の財政がいかに厳しくなっても、まずは支持率を高めて選挙に勝つことが重要であると政治家が考えているようであれば、その国は危ない。ことわっておくけれども、海を隔てた遠くの国の話ではない。