人は笑う動物だと言われる。チンパンジーの子どもは遊ぶときに笑うけれども、成長してからは笑わない。まさに笑いは人のみに与えられた特権だ。人は実によく笑う。一方でその笑いはさまざまだ。笑いにはどのくらいの種類があるのだろうか。
爆笑、哄笑(こうしょう)。大きな声をだす笑いを、英語ではラフ(laugh)という。この笑いは腹筋を使う。笑いすぎると腹筋がよじれる。落語や漫才を聴いたとき、試合に勝って嬉しいとき、思いがけなく面白いことがあったとき、人は快楽中枢が刺激されて笑う。ラフは快楽の笑いだ。
微笑、頬笑(ほほえみ)。これらは発声を伴わずにニッコリとする笑いだ。英語ではこれをスマイル(smile)という。同じ笑いでも、ラフとスマイルは起源が違う。スマイルは自分よりも強い相手に敵意がないことを示す、いわば降参の合図だ。いずれにせよスマイルは相手がある社会的な表情である。
嗤笑(ししょう)、嘲笑(ちょうしょう)、冷笑。これらは相手を低く見て、あざけるときに使う。憫笑(びんしょう)もこれに近い。相手を軽蔑して、優越感に浸る笑いである。裏を返せば、相手への劣等感がもとになって、鬱憤を晴らす笑いであるともいえる。
人は照れ笑いもする。これは失敗したり恥ずかしかったりしたときに、文字通り照れて笑うことだ。不都合があったときに、これから逃れるための笑いであるともいえる。自分を隠すときは作り笑いをする。笑って人を騙すこともある。本当は責任をとるべきなのに、笑ってごまかす人もいる。
「人から笑われる人になるな」「人から笑顔を貰える人になろう」。正反対のことを言っているけれども、何が違うのだろう。笑いには人を蔑む攻撃的な笑いと、人間関係を円滑につなぐ協調的な笑いがある。攻撃的な笑いは貰わずに、協調的な笑いを貰う人になろう。こう解釈すると両方とも理解できる。
最近のテレビは笑いを中心とした番組が多い。そこでは協調的な笑いではなく、攻撃的な笑いが多くなっているようで気になる。攻撃的な笑いは、相手を傷つける。傷つけることによって憂さを晴らす。それは人の性(さが)なのだろうか。それとも現代社会の病理として見るべきなのだろうか。