異常気象が続く。集中豪雨と台風による水害、一方で猛暑による水不足。このようなニュースに接するたびにつくづく思う。人は水の恩恵を受けるだけでなく、水に悩まされてきた。人にとって水とは何だろうと。
地球のような惑星で生命が維持できる条件は、液体としての水の存在である。その水は地表で熱せられて水蒸気になって上空に昇り、そこでまた冷やされて液体あるいは固体となって地表に戻る。その循環が地球の生態系を維持している。地球温暖化は、この循環をおかしくする。
ナイル川、ティグリス・ユーフラテス川、インダス川、そして黄河と、文明は水があるところで生まれた。共通しているのは、いずれも氾濫をくりかえしていたことだ。その氾濫が文明をもたらした。大規模な治水灌漑工事が必要になって人が集まり国家が誕生した。氾濫を予測する知恵も生まれた。
人は水なしでは生きていけない。人の体は、年齢にもよるが60%が水でできている。1日の水の排出量は約2.5リットルで、それに相当する水分を毎日摂取している。これは生命が水中で誕生したことと関係があるのかもしれない。僕の友人はアルコールの中で生命が誕生したと信じているけれども。
「上善は水のごとし」。水はあらゆるものに恵みを施し、しかも自在に形を変えて争わない。人の嫌がる低きに流れてそこにとどまる。柔和で弱いけれども、攻撃されてもびくともしない。奢ることなく謙虚で、自らを誇示しない。中国の老子は、水のような生き方を理想とした。
水はほとんど無色透明だけれども、水色は少し青い。海の水が青いからだ。空も青いけれども、空色と水色は微妙に違う。そう言えば「水色の恋」という歌があった。恋の歌なのに、なぜかその歌詞は「さよなら・・」で始まっていた。もしこれが空色だったらどのような恋になるのだろうか。
「水に流す」という言い方がある。過去のいざこざを、すべてなかったことにすることだ。水はすべてを清めてくれる。一方で「水をさす」は、うまく運んでいる物事のじゃまをすることだ。「水を向ける」ことによって、相手の関心を引くこともできる。人が生きていく上で、水とのつきあいは欠かせない。