僕が大学の講義で、あるいは講演会で話すことはすべて受け売りだけれども、受け売りという言葉自体にはマイナスイメージがある。生れたときは僕の知識はゼロだった。受け売りが悪いことだったら、教師という職業は成立しなくなる。なぜ受け売りがいけないのだろう。
「受け売り」は、受けたことをそのまま、いかにも自分のオリジナルだとして売るから、イメージが悪いのだろう。そうだとすれば編集あるいは加工して売れば問題なくなる。教師の役割はその編集・加工にあるのだろう。一方で加工しすぎると、何を教えているのかわからなくなる。加減が難しい。
「受け売り」は、なぜ非難されるのだろう。受け売りによって自慢する。物知りに見せる。それによって自分を偉く見せる。そのことを問題としているのだろうか。それらはすべて人の煩悩で仕方がないと思うけれども、人はその煩悩を悪いことだとして、受け売りを非難しているのだろうか。
「受け売り」は、決して悪いことではない。たとえば飲み会で話題が途切れた時に、受け売りであっても面白い話題を提供すれば、その場が盛り上がる。そのとき「これは受け売りだけれども」とことわってから言えばまったく問題はなくなる。ことわるだけで、マイナスイメージがなくなる。
「受け売り」は、それによって知識が流通していると考えれば、むしろ積極的に評価していい。間違ったことを流通させることは良くないけれども、正しいことであれば、たとえ受け売りであっても、それによって知識が広まれば素晴らしいことだ。
「受け売り」は、仕入れた知識をそのまま黙ってしまっておくのではなくて、言葉にして出すことだ。実はそれは学ぶ上で大切なことなのだ。言葉にして出すだけで、知識は自分のものになる。本物になる。受け売りを悪いことだとして黙っているよりも、むしろ積極的に活用したほうがよい。
「受け売り」には悪いイメージがある。受け売りしている人への妬みだろうか。自分よりもその人が偉く見えることへの嫉妬だろうか。一方で、聞く方からすれば知識が増えるのだから嬉しいことだ。受け売りしてくれた人にむしろ感謝しよう。非難したら、せっかくの知識を得る機会を失ってしまう。