夢の中の自分 2018.09.30-10.06

僕はよく夢を見る。そこにも自分がいる。どちらが本当なのか。いまは現実なのか、それとも夢の中なのか。それは哲学の大問題かもしれないけれども、最近思うようになった。夢の中にもう一人の自分がいるとしたら、僕は人生を2倍生きたことになる。それは儲けものだ。

夢の中の自分は、年齢不詳だ。さすがに子どもではないけれども、20代のこともある。今と同じ70代のこともある。どのような仕事をしているかもわからない。夢の中でもいつも〆切に追われているので、もしかしたら、現実の自分と似たような職業なのかもしれない。

夢の中の自分で、確かなことがある。それなりの歳になっているのに、まだ大学を卒業していないことだ。単位がとれていないのに、出席をとる授業を今日もさぼっている。試験の夢もよく見る。試験勉強はまったくしていないから、もちろん答案はほとんど白紙だ。

夢の中の自分は、現実よりも少しだけ女性にもてる。そのような場面になると、これは夢に違いないと、夢の中で気づく。そして夢から覚めないように祈る。でもその祈りがかなえられたことはない。いいところでいつも目が覚める。

夢の中の自分は、ときどき懐かしい方に出会う。あるとき、数十年前に亡くなった恩人とも言える方にお会いすることができた。まずは「ご無沙汰しております」と非礼を詫び、その後の僕の人生を報告した。「まあまあ頑張ったね」と誉めてほしかったのに、その恩人はただ笑っているだけだった。

夢の中の自分は、勇気がある。地球が爆発寸前の危機になったとき、自ら応募してその爆発を防ぐための決死隊に加わった。必死に地球を救おうとしたけれども、それはかなわず、僕は殉死してしまった。そして目が覚めた。そこには別の自分がいた。あたかも生まれ変わったかのように。

人は死んだら、覚めることのない夢を見ることになるのだろうか。現実の自分と夢の中の自分、これまで二通りの自分を生きてきた。死後に見る夢の中には、もう一人の第三の自分がいるのだろうか。それはどのような自分だろう。また一つ楽しみが増えた。