自然体 2018.10.07-10.13

これも寄る年波がそうさせるのだろうか、最近、自然体で生きたいという気持ちが強くなった。これからは生きることも死ぬことも自然体だ。嫌なことを無理してするよりも、自然に面白いと思ったことに身をまかせたい。そして自然に一生を終わりたい。

自然体とは、自然の体つまり裸で生きることですか、ある方から質問を受けた。もちろん冗談だろうけれども、自然の中で原始人として生きることが自然体ではない。さまざまな軋轢がある現代社会だからこそ、それに縛られない自然体で生きることに意味がある。

自然体とは、自然が命ずるままに生きることであるけれども、自然の欲望のままに生きることではない。むしろ逆だ。一切の欲望から自由になることだ。人には勝利欲、成功欲、金銭欲、名誉欲・・・、さまざまな欲望があるけれども、それに縛られていたら自由になれない。自然体になれない。

自然体とは、柔道や剣道などでは、自然なままで立った基本的な姿勢を意味するらしい。気負ったり身構えたりしないあるがままの態度だ。自然体の「自然」は「自(おの)ずから然るべくしてなる」と書く。そこには、こだわりがない。こだわりを捨てることによって自然体となる。

自然体になると、自分に対して素直になれる。自分を許すことができる。と言うよりも、許す/許さないと考えること、それ自体が意味を持たなくなる。頑張ることはするけれども、それを楽しんで無理をしなくなる。等身大になる。

自然体になると、謙虚になれる。相手に対しても寛容になれる。そして感謝の気持ちが生まれる。逆に言えば、自然体にならないと、なかなかそのような気持ちになれない。なぜだろう。説明できないことが、自然体の本質なのかもしれない。

ある生き方指南書に「競争に勝つためには自然体になることが大切」と書いてあった。自然体を勝つための手段としたり、座右名あるいは人生訓としたら、もはやそれは自然体ではない。自然体とは、そのような価値観から超越することなのだ。努力するものではないのだ。だから自然体は難しい。