たまり場 2018.11.18-11.24

僕はいわゆる会議が好きになれない。真面目な顔をしておこなう会議からは何も新しいことは生まれない。そう思うからだ。まだ会議の後の二次会や三次会の方が創造的だ。そしてもう一つ重要な場所がある。それは「たまり場」だ。

「たまり場」とは、仲間が寄り集まってたむろする場所だ。僕が学生のときの「たまり場」は喫茶店だった。ちょうど学生運動の時代だった。そこで夜遅くまで、これからの社会、そして時代について議論した。恋愛論も盛んだったけれども、実践派はあまりそこには来なかったような気もする。

かつては家庭の主婦の「たまり場」として井戸端があった。そこでは延々と井戸端会議をしていた。いまは女性も外で働くことが多くなった。一方で育児やワークライフバランスに悩む女性も多い。同性同士が本音を出せる「たまり場」はいつの時代も必要だ。いまはどこにあるのだろうか。

老人になると、孤独との戦いが始まる。それを癒してくれるのが「たまり場」だ。老人クラブの囲碁や将棋のサークルは立派な「たまり場」だ。老人の医療費が無料だったときは、病院の待合室がそうだった。「たまり場」を求めて地域のボランティアに参加している元気な老人も増えてきた。

子どもたちにとっての「たまり場」はどこなのだろう。かつてはハラッパだったけれども、大人の社会がそれをなくしてしまった。塾が「たまり場」だったこともあった。本当は学校が「たまり場」であってほしいけれども、放課後は追い出される。管理責任が厳しく問われるようになったからだ。

いま必要とされているのは、それぞれが生活をしている地域の「たまり場」だ。もともと日本には寄合(よりあい)があった。いまは公民館などの公共の施設がある。でも、それは管理が厳しく、「たまり場」にはなっていない。オープンスペースで大声で議論すると叱られるし、会議室は予約が必要だ。

「たまり場」はその名の通り、単にたまるだけで特に目的はない。誰も来ないこともある。そのようなときはゆっくり読書ができた。集まったときは議論がはずむ。それだけの場所なのに、身近に「たまり場」を持っている人は幸せだ。その人の居場所があるからだ。

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