とうとうボケが始まったのだろうか。社会で一般的に使われている用語を間違って解釈することが多くなった。その一つにイノベーションがある。僕は社会や歴史を変える力を持つ常識を覆した革新がイノベーションだと思っていたけれども、必ずしもそうではないらしい。
イノベーションは、僕の定義だとそう簡単に起こるものではない。一方で、代表的なネット辞書によると、イノベーションは「物事の新結合、新機軸、新しい切り口、新しい捉え方、新しい活用法(を創造する行為)」とある。これだけで定義すると、新しければイノベーションになる。日常的に起こる。
イノベーションは技術革新と訳されることもあるけれども、最近では企業の経営者が好んで使う。そこでは企業の経営革新がイノベーションになる。1911年頃に経済学者のシュンペーターが言い出したらしい。新機軸によってその企業の競争優位を達成すること、それがイノベーションの目的となる。
研究開発でイノベーションが言われだしたのはいつからだろう。僕が意識したのは、2011年度からの第4期科学技術基本計画の策定作業がおこなわれている頃だ。国の総合科学技術会議が改称されたのが2014年。その頃から、イノベーションを言わなければ大型研究費を獲得できなくなった。
僕がびっくりしたのは、持続的イノベーションなる用語が登場したときだ。語義矛盾があるように思ったけれども、そうではないらしい。本来の破壊的なイノベーションだと、危険すぎて日本社会では受け入れられない。持続的であることが日本社会には似合っている。そういうことなのだろうか。
最近のニュースによると、イノベーションの標準化作業が進められているらしい。イノベーションにはノウハウやプロセスがある。それが標準化されれば、どの企業でもイノベーションを起こすことができる。誰でもできるようになる。イノベーションはルーティンワークになる。
国や産業界がイノベーションを言いだした背景には手詰まり感があったのではないか。それで一気に突破型革新を狙う。しかしそれもバズワードになると、骨抜きにされてしまう。それはそれで意味があるのだろうけれども、何も突破できなくなるのではと心配になる。