地下鉄の広告を漠然と眺めていたら、男性向けの「ヒゲの永久脱毛」が目に飛び込んできた。確かに毎朝ヒゲを剃るのは面倒だ。永久脱毛してしまえば、その手間がなくなる。一方で何を思ったか、ある時友人が立派なヒゲを生やし始めた。そもそもヒゲはなぜあるのだろうか。
ヒゲは男性にしかない。なぜなのか。たくましさの表現として生きていく上で必要だったからだ。そのヒゲを永久脱毛するということは、男性がたくましくあることは必要なくなった。むしろヒゲをなくして優しく見せること、それが男らしさの象徴になってきたということなのだろうか。
同じ日本人でもヒゲが濃い人と薄い人がある。日本人の顔のルーツとして縄文顔と弥生顔がある。南方的な縄文顔はヒゲが濃く、寒冷地の顔である弥生顔は薄い。厳しい寒さのもとでは、ヒゲがあると、そこで吐く息がすぐ凍ってしまう。それがヒゲとともに剥がれてしまうからだ。
ヒゲの意味は時代とともに変わる。富国強兵の時代は、ヒゲは威厳の象徴だった。身分や地位を示していた。それがいまは、むしろ自由人であることの象徴になっている。組織に属しているとヒゲは許されない。自由に生きるようになると、人はヒゲを生やす。
ヒゲには色々ある。形によって意味が違う。ドイツ皇帝ウィルヘルム二世に代表されるカイゼルヒゲは、ピンと跳ね上がっている。それは権力の象徴だ。一方で喜劇王チャップリンのちょびヒゲは、どこかペーソス(哀愁)を感じさせる。人生を感じさせる。
ヒゲは顔のコンプレックスを隠す。有名なリンカーンのヒゲはそうだったとする説がある。ワシントンなどそれまでの大統領は貫禄のある顔をしていた。それもあってか痩せ顔のリンカーンは顔にこだわった。「40を過ぎたら男は自分の顔に責任を持て」。これはリンカーンの言葉とされる。
自分の顔の印象を変えるために、手軽に操作できる部位は限られている。女性は眉、男性はヒゲだ。ヒゲによって自分を変身させることができる。ヒゲを永久に脱毛してしまうということは、その権利を放棄してしまうことだ。せっかくヒゲがあるのだから、もったいない。さて、僕はこれからどうしようか。