コピー 2019.01.27-02.02

30年近く前のことだ。マルチメディアについて講演したときに「デジタルの本質は何ですか」という質問を受けた。難しい質問だったけれども「それはコピーができることです」と答えた。デジタルであれば、元の情報を毀さずにコピーできる。安心してネットワークでやり取りができる。

コピーは悪いことだとする風潮がある。大学のレポートや学会の論文でコピペをすると、それだけで盗用とされる。本当にコピーは問題なのだろうか。もちろん他人の業績を盗むことは良くない。一方で、人の営みのすべては先人のコピーから始まるのだとも言える。先人を無視しては、何も生まれない。

コピーは著作権という観点から問題だとされる。著作権は大切だけれども、個人的には、たとえば僕が書いたものは(あまりないけれども)できるだけ多くの人にコピーしてほしいと思う。流通してこそ価値がでる。それが情報だからだ。

僕の講義の試験で、A4の用紙一枚を持ち込み可としたことがある。いわゆる公認カンニングペーパーだ。そこには何を記してもよい。ただし手書きに限ってコピーは認めなかった。他人が作成したものをコピーしても意味はない。手書きで作成すれば、それ自体が勉強になる。それを期待したのだ。

講演や講義で、黒板やスクリーンをひたすらカメラ(スマホ)で撮影している学生がいる。本人はそれでノートやメモをとっている積りなのかもしれない。でもそれはコピーと同じだ。聴きながら考える。そして要点をノートにとる。それをリアルタイムでおこなう。教室はそのような真剣勝負の場なのだ。

デジタルになって紙が電子化されれば、紙の消費量が減ってエコにつながる。こう言われたことがあった。結果は逆だった。デジタルは書類のコピーを容易にした。容易になれば生産性はあがって、紙はますます消費されるようになった。デジタルはエネルギーも消費する。決して地球に優しくない。

コピーには色々と問題がある。でもあえて言いたい。コピーで大切なことは、元はそのまま保存して、自由に再編集できることだ。それが創造を生む。創造とはゼロから生みだすことではない。文化は積み重ねることであるとすれば、コピーこそが創造の原点なのだ。デジタルはそれを可能にしたのだ。