平成 2019.03.31-04.06

いまから30年前に元号が昭和から平成になった。平成生まれの世代には古い昔のことかもしれないけれども、終戦の年に生まれた僕にとっては、それは自分自身の人生の折り返し点でもあると同時に、時代の折り返し点のようにも見えた。平成は明らかに昭和とは違う時代となった。

平成の時代は曲がりなりにも平和だった。富国強兵を目指した近代の日本は戦争に明け暮れていた。明治には日清戦争と日露戦争が、大正には第一次大戦が、昭和には第二次大戦があった。平成にはそのような戦争がなかった。それだけでも平成を誇ってよい。これだけは次の令和の時代も続いてほしい。

平成の時代はいくつもの大災害に見舞われた。阪神・淡路大震災(H7)、新潟県中越地震(H16)、東日本大震災(H23)、熊本地震(H28)、北海道胆振東部地震(H30)。なかでも東日本大震災は天災であると同時に人災でもあった。平成はまさに現代文明が問われた時代であった。

平成になった年にベルリンの壁が崩壊して、マルタ会談で冷戦の終結が宣言された。その後はアメリカの一極集中となり、対立の歴史は終わったかのように見えた。ところが平成の時代も終わりになって、そのアメリカが世界のリーダーの座を自ら手放そうとしている。歴史はまだまだ動いている。

平成はまさに情報化の時代であった。平成が始まった1989年はアナログのBS放送が始まり、WWWの概念が提唱された年であった。誰もが利用できるインターネットはまだなく、携帯電話もスマホもなかった。いまの若い人には考えられないだろう。平成は大きく社会を変えてしまった。

平成になってバブルが崩壊した。その後は失われた〇〇年と呼ばれている。それは本当に失われたのだろうか。僕には戦後のさまざまな歪が浮き彫りになった時代に見える。本来ならば、その見直しを図り、次の時代へ向けて準備する時代だったのだ。その機会を逸したから失われた時代となったのだ。

右肩上がりだった昭和が終わって、平成の時代はGDPが平らに成った。令和も雨が降れば零和(ゼロサム)となる。もはや拡大の時代は終わったと考えた方がよい。そのもとで皆が令(うる)わしく和(なご)む時代をどう設計するか。それがいま問われている。