占い 2019.04.07-04.13

身近でありながらよくわからないものに占いがある。占いにはほとんど科学的な根拠がない。そうであるにも拘わらず、科学がここまで発達した現代においても、人は占いをもてはやす。ビジネスにもなっている。なぜなのだろうか。考えてみれば不思議だ。

占いにも色々な種類があるらしい。占星術や四柱推命のように生年月日などから運命を占う「命(めい)」、カード占いやおみくじのように偶然性に頼って吉凶を占う「卜(ぼく)」、手相や人相など外見的な特徴によって性格や運勢を占う「相(そう)」。調べてみると、占いも奥が深い。

僕が占いに関心を持ったのは10代の頃だった。本まで買って手相を真面目に勉強した。理由ははっきりしている。手相を見ることを口実にして、好きな女性の手に触れることができるからだ。それだけが目的であった。そしてそれだけで終わってしまった。

僕は占いはあまり信じない方だけれども、ときどきタブレットで一人占いをすることがある。凶の目がでたときは何度もやり直す。吉の目がでたときはそれを信じてそこで止める。したがって、僕の占いは、最後は必ず吉になる。気分転換にはそのような占いがよい。

科学的であることを標榜している占いは気をつけた方がよい。たとえば19世紀から20世紀にかけて登場した骨相学は、大脳機能局在説に基づいて骨の形からその人の能力や性格がわかるとした。それは差別にむすびついた。占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦がよい。

占い師という職業がある。僕の友人にもいる。占い師には神がかったイメージがあるけれども、そんなことはない。みな普通の愛すべき友人だ。もし共通していることがあるとすれば話術かもしれない。その気にさせる話術にはいつも感心する。その友人とつきあっていて良かったとつくづく思う。

日本人はなぜか血液型によって性格や運勢を占うことが好きだ。たとえばコンパなどではその話題で盛り上がる。ほとんど科学的な根拠はないし、だれもそれを信じているわけではない。だからこそ気軽に話題にできるのかもしれない。占いもその程度につきあっていれば、人生を楽しくしてくれる。