定年後10年 2019.04.14-04.20

僕が大学を定年退職したのが2009年3月であったから、今年でちょうど10年の歳月が流れたことになる。十年一昔、定年退職は遥か昔だった気がする。一方で、定年後の日々は文字通りあっという間に過ぎ去っていった。その間に何をしたのだろう。何ができたのだろう。

定年後10年。意図したわけではないのに、常勤の形では組織に属さない身となった。結果として自分の時間ができた。ストレスがなくなった。優雅ですねと言われるけれども、決してそんなことはない。自分で自分をデザインすることの難しさ、自分の弱さを痛感した定年後だった。

定年後10年。常勤の職につかなかった僕は3つの大学の客員教授となった。それぞれ芸術系、数理系、文学系。文化の異なる3つの分野から呼ばれたのは嬉しかった。大した貢献はできなかったけれども貴重な経験だった。そしていま、古巣で再び学ぶ機会が与えられている。僕は本当に恵まれている。

定年後10年。顔の百科事典を編纂し、信号処理の教科書を2冊出版した。もっと執筆の時間があると思ったのに意外とない。構想ばかりが先走りして、一向に進まない。次第に、これは時間の問題ではない、能力の問題ではないかと疑うようになって、自分との格闘が始まった。それはいまも続いている。

定年後10年。思うところがあって、ささやかな個人塾(講演会)を始めた。毎月勝手に僕が90分話す。子育てから恋愛論、死生論、宇宙138憶年の歴史、たまたまそのときに興味を持ったことがテーマだ。この9月に100回になる。それだけで感謝。支えてくださった多くの方々に感謝。

定年後10年。その間に2つの大きな出来事があった。一つは東日本大震災。これは僕のそれまでの価値観をも揺るがした。いま一つは、震災の翌年に個人的に襲われた脳梗塞。これは僕の人生観を変えた。それぞれ一言では説明できないけれども、この二つの出来事があったから、いまの自分がある。

定年後10年。そろそろ定年前の自分と決別して、プロフィールに定年後のことだけを記す人生を送りたい。ところがこれが難しい。定年後を流れにまかせて生きてきたからだ。おそらくこれからもそうなのだろう。それが定年後のプロフィールになるのだろう。