情報の歴史をテーマにした講演の冒頭で、このような質問をした。歴史上初めてのデジタル情報は何ですか。モールス符号ではないかとの答えがあったけれども、正解は35億年前に誕生した原核動物に始まるDNAだ。それは4種類の塩基の記号で符号化されている。
DNAはデジタル情報であるから、コピーしても劣化がない。もしアナログであったら、コピーするたびに品質が落ちる。生物は代を重ねるたびにおかしくなり、生物は滅亡する。35億年もの間、滅亡せずに生き延びてきたのは、DNAがデジタルであったおかげだ。
DNA情報は進化する。突然変異もあるけれども、有性生殖というDNAのコピーのしくみを獲得したことと、死のしくみが書き込まれたことが画期的であった。それによってDNAは多様化して、環境が変わってもその一部が生き延びることができた。古いDNAは自ら消え去ることができた。
生物の歴史は、DNAの進化の歴史である。たとえばリチャード・ドーキンスによる利己的遺伝子論では、遺伝子(DNA)はひたすら自らの生存率を他者よりも高めるように振舞う。そこでは、生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない。
DNAは生物の設計図であるけれども、そこには完成予想図は記されていない。設計図のどこをどう読むかは環境によって異なり、結果として完成する姿はみな異なる。それがDNAの大切なところだ。もちろん人も同じだ。人の完成予想図などどこにもない。
人のDNA情報(ヒトゲノム)は、今世紀初めに解読された。これによってたとえば難病の克服が可能になった。その意味では人類にとって朗報であるけれども、本当に良かったのか気になる。もしかしたらヒトゲノムは、開けてはいけないパンドラの箱だったのかもしれない。
人は弱い存在だ。知ってしまったら、それを自らのために役立てたいという欲望に勝てない。20世紀の始めに物質が巨大なエネルギーを生むことを知ってしまった。それは原子爆弾となった。DNAという設計図を知ってしまった21世紀、人は自らの欲望を果たして制御できるのだろうか。