若い人は知らないかもしれない。かつて「住宅すごろく」なるものがあった。遊びのすごろくではない。夢のマイホームへ向けて、少しずつ家族が住む所をレベルアップしていく。そのような昭和の戦後世代の一生を、すごろくに見立てたものが住宅すごろくだ。
住宅すごろくは、地方から上京して三畳の下宿、あるいは会社の寮からスタートする。その後木造アパートの賃貸を経て、運よく抽選にあたれば公団アパートに移ることができる。しかしそれは2DKで最初は風呂もなかった。親子3人(無理すれば4人)がようやく暮らせる広さだった。
戦後のサラリーマンは決して気楽な稼業ではなかった。企業戦士とおだてられ、栄養ドリンクを飲みながら24時間働き続けた。家庭の主婦もパートをして貯金に励んだ。その貯金を頭金として住宅ローンを組めば、晴れて分譲マンションや建売住宅を購入して、住宅すごろくを一歩進めることができるからだ。
住宅すごろくのゴールは、郊外の庭付き一戸建て住宅だ。バブルの時代、土地の値段は必ず上がると信じられていた。早めにそれを手に入れれば将来は約束されたものだった。みなそれを夢見た。しかしそれは夢でしかなかった。バブルが弾けて土地は値下がりして、住宅ローンだけが重く残った。
住宅すごろくのゴールとしてようやく手に入れた郊外の庭付き一戸建ては、通勤には遠すぎた。ラッシュに揉まれての長時間の通勤は苛酷なものだった。それは当然ながら次の世代には魅力がない。せっかくの一戸建ては、いまや空き家予備軍になろうとしている。
いまの若い世代にとって住宅すごろくは意味がない。親の世代が到達した住宅すごろくのゴールから人生が始まるからだ。親が苦労して手にいれたものに対して執着はない。感謝もない。むしろ一生賃貸の方が、ライフスタイルに合わせて柔軟に住み替えられる。そう考える。
住宅すごろくのゴールを目指してひたすら頑張ってきた世代は、いまや高齢者となっている。その最大の関心は老人ホームだ。できれば介護付きがいいけれども、それは高嶺の花だ。住宅すごろくには、まだその先があった。死ぬまで終わりのない旅路がまだまだ続く。