広告 2019.07.14-07.20

脱毛というテーマでつぶやくために脱毛サロンを検索したら、その後に僕が検索するウェブページが脱毛の広告だらけになった。僕に脱毛せよと誘っているのであろうか。それともネットでは、僕が脱毛マニアであるとみなされているのであろうか。

ネットで検索も含めて何らかの操作をすると、その情報がすぐ登録されるらしく、関連した商品の広告だらけになる。これは便利というべきなのだろうか。プライベートが侵されて怖ろしいというべきなのだろうか。僕にとっては、いらないおせっかいでしかないけれども。

インターネットで、検索キーワードに連動して広告を表示するしくみは、検索連動型広告と呼ばれているらしい。これとクリックに応じて広告主に料金が課されるクリック課金広告を組み合わせることもある。このしくみによってインターネットが支えられている。文句は言えない。

僕は講演や原稿の準備をするときに、ネットを検索してヒントを探すことが多い。あるとき気づいた。僕の参考になる情報は、広告つきのページにはほとんどない。一方で、広告もいいね!ボタンもない個人のブログは、その内容に感心することがよくある。ウェブページの情報の質は、広告の量に反比例する。

かつてテレビのコマ―シャルは文化だった。その時代の世相を反映した名作が多かった。しかもメッセージがあった。一方で、最近の通販のテレビ広告はみな同じパターンで、最後には決まって30分以内の注文へと誘導する。そこにはあまり文化は感じないけれども、これも時代の反映なのだろうか。

テレビの広告は視聴率と密接に関係する。関係者は小数点以下の数字に一喜一憂する。そこまでの数字に統計的な優位性があるかどうかは疑問だ。数字だけが独り歩きしている。自分の首を絞めているようにも見える。これもテレビの宿命なのだろうか。

テレビの民放やインターネットは、ほとんど無料感覚で接することができる。広告収入で運用されていることがほとんどだからだ。でも知っておいた方がよい。それによって購入した商品の価格には広告費が含まれている。無料のように見えて、実はそれを利用している自分が負担しているのだ。