家族 2019.07.21-07.27

現代社会における難問に家族がある。家族は自由に選べない。親子関係は選べない。解消できない。夫婦関係は選べても、簡単には解消できない。法律的には相続や扶養など、税法を中心に縛りがある。そのような家族は何のためにあるのか。それに疑問を持つ人も増えている。

家族はしがらみとなる。子にとっては、親は無言の圧力となり、妻(母)にとっては家事と子育ての負担、夫(父)にとっては扶養の義務が課せられる。さらには、嫁姑(婿姑)の問題、老人介護の負担が重くのしかかる。女性の社会進出も、家族のしがらみが妨げている。

家族はきずなでもある。人と人がともに生活する最小単位であり、仕事から帰ったときの安息、団欒の場である。親は子は良い家庭で育ってほしいと願う。家族の介護のもとで家で死にたいと思う老人も多い。家族不要論がある一方で、世論調査では家族が一番大切だと思う人がむしろ増加している。

なぜいま家族が問題となるのか。それは、戦後家族の形が大きく変わったからだ。家父長を中心とする大家族から核家族となった。祖父母・両親・子の三世代が同居することがなくなった。働き手が都会に出て、地方には老人だけが取り残された。一方の都会では若者の単身世帯も増えた。

戦後の家族は近代家族と呼ばれる。親子だけの核家族で、夫は外での仕事、妻は家事と子育てという性的役割分担があった。夫は深夜まで残業して働いて、家庭のことは妻に任せきりにした。近代家族は、戦後の経済成長を支えるしくみでもあったのだ。

バブルがはじけて時代が大きく変わった。マイホームを目指した戦後の家族モデルは過去のものになり、共働きが普通になった。価値観も多様化した。夫婦別姓、同性婚も話題になっている。失業による家族崩壊、シングルマザー、身寄りのない一人暮らし老人も、いま深刻な社会問題となっている。

家族に関して個人的にはこう思う。人がそれぞれ違っていいように、家族もそれぞれが違っていい。理想の家族はない。それは押しつけるものでもない。一方で自分勝手であってはいけない。家族は自分だけのものではない。一緒に暮らす相手がいる。たとえば子はそこで育つ。それを忘れてはいけない。