屁 2019.10.27-11.02

筋が通らない理屈を屁理屈という。屁のように何の役に立たない理屈のことだ。確かに屁には、値打ちがないつまらぬものという意味があるが、これは屁に対して失礼だ。屁を馬鹿にしてはいけない。たとえば手術の後にいつまでも屁がでないようだと、命が危ない。

平均的に大人は、一日に合計数百ミリリットルから数リットル程度のガスを、5回から20回にわたって放出するらしい。そのときの音は一回のガスの量と出口の大きさが関係する。緊張すると出口が狭まるので高い音が出る。僕の経験では、腰を椅子から浮かせて、体を斜めにすると、音が出にくくなる。

屁はおならとも呼ばれるが、実は少し違う。おならは、その名の通り音をだして鳴るものをいう。室町時代から女房言葉で「お鳴らし」として、この言い方があったらしい。これと区別して鳴らない屁は、江戸時代から「透かしっぺ」と言うようになった。

風呂につかりながらの放屁は注意した方がいい。つい気持ちがよくなって出したくなる気持ちはわかるが、それによって膨張した気泡が前に回ると、鼻の真下で爆発することになる。屁だけを放出しようと慎重にコントロールした場合でも、万が一ということがある。

エレベータに乗ろうとしたとき、降りてきた外国人にアイ・アム・ソーリーと言われた。なぜだろうと思ったけれども、すぐわかった。狭い空間に芳香が充満していたからだ。すぐ次の階で降りたけれども、入れ替わって新たに乗った若い女性がいた。僕はどう思われたのだろう。

屁は危険だ。数年前に、手術中にレーザー照射が腸内のガスに引火して、患者が大やけどを負ったというニュースがあった。スカンクを持ち出すまでもなく、屁は武器にもなる。 たとえば12世紀の絵巻物には、屁を武器とした放屁合戦が描かれている。

屁は芸にもなる。それを職業とする音楽家がいた。放屁師と呼ばれる彼(彼女?)らは、見事な音階を奏でたらしい。ドラえもんにも音楽イモというメロディーガスを奏でる素晴らしい隠し道具がある。日本昔話にも屁は数多く登場する。屁は文化だ。